「蛇の王」
■蛇の王
こんにちは。今日の一枚から新年が明けてから描いたモノになります。今回はタイトルありきで描き始めたものであり、キーワードからコンセプトを絞ってデザインなどを設計したために一目分かり易い形になりましたし面白いアイディアも多々出ました。
私の場合、絵で特に楽しいのが新しいアイディアを絵に描きだしている時であり、そうして楽しく描いたモノが良い出来になり易い面が強いですね。今回もそうでした。
総じてイイ出来になっているのですが、アングルから考えた左右の膝の高さの位置関係が若干間違っているかなと思われるところ。
■三か月上達法 立ち絵2
二作目にして大分「解ってきた」感があります。今回は前回得た色の理解を基に、輪郭と主に顔の造形の二点に的を絞って模倣を行いましたが、色んな事に一度に手を出すよりはこのやり方のほうが結果早く確実かなと思われるところ。とにかく問題を一つ一つ順番にクリアしていく体制が今回も手堅いですね。
そんなわけで、今回は顔が自分にしてはかなり可愛くなりました。今まで顔の可愛さにはあまりこだわってこなかったのでアレですが、自分が描いてきた顔は全然可愛くなかったんだなと思い知ったりしましたね。
さて、ツイッターを見ているとちょいちょい漫画のプロモ―ションが上がって来まして、とりあえず後学の為に一通りチェックするようにしているのですが、してみると最近「弱くて虐げられていた俺が劇的に強くなって逆襲」みたいな作品がやけに多いなと思い始めました。
漫画と言うものの構造がある程度「落として上げる」か「上げて落とす」を基本にしていることから、逆襲モノや成り上がりモノは題材として有利なのでしょうけれど、実際どうなのでしょうね。力が付いたからと言って自分より弱くなった彼らに復讐していたら、結果彼らと自分は何ら変わりない人間になってしまうと思うんですが…。
いじめられっ子がいじめっ子にとって代わる理屈ですよね、要するに。
よくよく考えてみると、少年漫画などはほとんどの作品がこの構造を基礎にしており、例えば超ヒット漫画「OnePiece」なども、子どもの頃は弱かったルフィが力を経て世の中の覇者になっていくという、構造だけを見れば逆襲モノ、成り上がりモノと言って差し支えない構成になっています。
この漫画の巧い所は要するにルフィが常に「自分より強い相手」に立ち向かっていることで嫌味を回避している点であり、例えば明らかに弱い相手を無双していても爽快感も何もなく、結果ヒットはしなかったと思われる。
しかしよくよく考えてみれば、ルフィが勝利している時点で相手はルフィより「弱い」と言えるわけで、つまりはその時点でルフィのやっていることは只の「いじめ」とも言えるわけです。
「いじめ」の象徴ともいえる「暴力」をあたかも「栄光の勝利」であるかのように演出する。覚えがあるやり方だなと思いましたが、ずばり「戦争」ですね。
まあ朝からそんなことを考えて勝手に気持ち悪くなったりしておりました。
思えば、大義がありさえすれば人はどんなに卑怯なことに及んでも良い、と言う考え方は、ほとんどの人が持ち得ている人間の負の側面とも言えるかもしれません。でなければ皆ルフィの勝利に酔いしれたりはしないでしょうし。
今一度自分に照らして、この考え方が本当に正しいのか見つめ直してみなければなと思いました。
ではまた次回。