イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「エリアスエーデ」

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■エリアスエーデ

 こんにちは。今日の一枚は、キャラクターをかなり大きく扱ったもの。「人工のエイリアンの胎児」くらいの構想から練り込みました。

 これについては身内で比較的好評であり、やはりネットで見るような絵であれば、キャラを引きで見せて背景にも凝ったようなものよりもキャラを大きく画面で切り取った分かり易いものに軍配が上がるのだなと思いました。絵描きがそんなものばかりを描くようになれば、この業界がいつか衰退していくのは明らかかと思いますが。

 

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■落書き

 

 さて、noteのほうをしばらく更新できていなかったのですが、最近またぼちぼち投稿を再開しました。その関係で見て回った処、面白い記事を書く方がいたのでご紹介します。

note.com


 日本や世界に巣食う様々な社会問題を、分かり易く解きほぐしつつ独自の論点でばっさり切る記事を多数書かれている方です。

 まずその内包知識の豊さに圧倒されますね。かなり様々な事柄を、ジャンルを超えて総合的に勉強していらっしゃるらしく、自身の記事でも「自分は”学習”は得意ではないが”勉強”は出来る」といったような事を書いていらっしゃいます。

 曰く、日本の教育機関で行われる勉強とは大体がこの”学習”であるが、”学習”は義務教育までにとどめておくべきであり、本来成人に近い人間がすべき事とは”勉強”である。これには非常に頷かされます。

 

 大体にして、現在の教育機関で行われている学習要領には無駄が多く、またそのほとんどは大人になってから使わない知識です。簡単な算数や読み書きさえできれば最低限の社会性は身に付けられますし、そのうえで”勉強”すべき事とは、地名や歴史上の人物の丸暗記、意味もない道徳の理念などではなく、もっと自身の社会生活に根差したものであるべきでしょう。

 なるほど、確かに「学習を行う」という一連の学生たちに対する負荷そのものを尊んでいるのが現在の学校教育なのでしょうが、しかし現状を見れば、世界に対する「自国はこれくらい教育に力を入れていますよ」というあくまでも体裁の為に教育要領を複雑化、煩雑化する傾向が顕著であるように思われてならない。

 つまり、「自分たちの子どもにこれくらい勉強させました」という親や国元の自尊心を満足させるためにあるのが今日の教育であり、決して子どもたち自身の事を考えたものになってはいないんです。

 これは非常に危惧すべきことだと思いますね。

 

 私が思う、そしておそらく先ほど紹介した方が思う「勉強」のあり方とは、例えば現在度々叫ばれるようになった、現法の制度の内自分たちにとって有利、あるいは不利になるものを一通り教えておく、金銭やネット、医療などといった、自身の生活に必需となるモノについて、一通りの知識と注意喚起を促しておく。そのうえで子どもたちそれぞれが興味を持ったものについて各自深く調べさせ、そのレポートを作成させるなどして「調べて」「知識、見識」を「自ら深める」という成功体験を繰り返し積ませることです。

 まあ、そうした勉強のあり方を実践するためには教育者自身に深い造詣と卓越した人格が不可欠になりますし、単純な話ただ黙々と学習要領を消化し、子どもたちに一律のテストを請けさせて学力を測る、というような現在の教育と比べて比較にならないほどの労力が要るでしょう。そうした本当の意味での「勉強」が出来るほどの土壌がまだ整っていないんですよね。

 多くの大学ではそれに近い事をさせていますが、しかし高校まで「学習」漬けで育った子どもたちは大学に入っていざ自由に学べる、と言うくだりになると大体が堕落して自堕落な学生生活を送るようになります。それまで「学習」しかしてこなかったので「勉強」の仕方が解らないわけです。これでは学びの場の意味が全くないですね。

 

 やけにアツく語ってしまいました。

 とにかく先ほど挙げた方のnoteは非常に勉強になるので、興味のわいた方は一度と言わず目に付いた記事をとりあえず出来る限り多く読んでみてほしいです。

 

 ではまた次回。