イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「人造女神を臨む街、改」

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■人造女神を臨む街、改

 こんばんは。今日の一枚は数か月前に描いたものの焼き直し。概ねシルエットのみで曖昧だった街の景観の精査を試みた一枚でした。

 その点はある程度うまくいったものの、結果として街並みと女神のシルエットが干渉してしまい、若干悪くなったかなという所です。それは本当に些細なノイズなのですが、この所また目の解像度が一段階上がったらしく、細かい所のバランスの悪さが違和感として強く感じられるようになってきました。

 いつまでたっても目の良さに表現力が追いつきませんね。それが本来健全な形であると解ってはいても、描こうと描こうと目が満足しない状態はなかなか精神に来ます。

 

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■落書き

 

 さて、昨日書いたことの続きですが。私が何かを「知りたい」と思うほど興味を持つためには、まずそれを「好き」になる必要があるのではと思います。

 それが正直、ものすごいネックになっているように思う。

 私には好き嫌いがほとんどありません。人が言う「フェチ」や「性癖」というものにも共感できない事がほとんどであり、逆にそれら性癖が強く出た絵を率直に気持ち悪いと思う。自分の卑しさを、それが正義であるとばかりにあけっぴろげにするタイプの絵に、ぶっちゃけ好感を抱けないんです。

 

 数年前まではいわゆる「萌え」という文化にも全然興味を持てず、むしろ嫌いで、それら少女や少年の性的特徴を賛美するような流れが気持ち悪くて仕方なかった。それから多少無理をして自分の絵に萌えを組み込み、なんとかあざとさに振った表現にも慣れるようにしていきましたが、正直なところを言えば現在も、頭の中に疑問符を浮かべっぱなしにしながら描いています。

 「世の人間はこんな下品な表現が好きなのか」「自分の品性を犠牲にしてまで萌えという表現を突き詰めることに意味はあるのか?」「自分の品性を安く売っているようだ」と。

 

 以前お世話になっていたピクシブの添削グループでも、「女性なら女性の特徴(胸や尻など)を強調した方が良い」といった意見を度々頂きました。その度に気持ち悪くて吐きそうになった。

 結果としてある程度そうした表現もできるようにはなりましたが、同時にイラストというものの卑俗さが嫌になりましたね。

 

 そんな自分が、世の中に受け入れられるタイプのモチーフに対して「好き」という気持ちを持てるはずがないんですよね。結局この世において自分は少数派であり、一生こうして気持ち悪い気持ち悪いとぼやきながらもウケる表現を続けていくしかない。

 大分こじらせてしまっているなと思うわけです。

 

 とりあえず当面は、今回描いたようなことをはじめ、自分の気持ちの整理を進めていった方が良い気がしますね。まずは膿をすべて出し切らなければ、自分は先に進めないように思う。

 そのうえで余裕を持たなければ、とても人間や事物に対する博愛精神など持ちようがないでしょう。

 

 ではまた次回。