イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「茨の天使」

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■茨の天使

 こんにちは。今日の一枚は変則的なコンセプトとモチーフで描いたもの。当時いいイラストを大量に摂取出来て大層調子が上がっており、その勢いのまま描き始めて一気に完成まで持っていったものになります。結果、大分良いモノが出たように思いますね。

 背景の構造物など「何」を描いたのか自分でも言語化出来ていないのですが、しかしシルエット上の造形は非常に面白いものになっており、また今回主題である天使のキャラデザインがかなり良いモノとなりました。

 偏に調子が良かったから出来たものではありますが、本来的な自分のパフォーマンスを生かした表現とはこうした物なのでしょう。最近とにかく文脈的に意味のある構成にしなければとキリキリやってきたものの、結局それは自分に合わなかった。コンセプトとして多少意味を持ったモチーフを一つか二つ上げたら、あとは創造力の赴くままに自由に筆を動かす、というやり方が自分にはなじむようです。

 

 

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■落書き

 

 さて、昨日書いた件の続きですが。

 概ね今までの自分の作ってきたものの特徴と言えるのは、とにかく自分の想像力を生かした、自由度の高い表現を売にしている、という点かと思います。先日も語ったように、私は自分の直感から来るイメージをそのまま形にできるため、多少理屈の通らないアイディアであっても力技で形にすることが出来る。

 まあ結果としてかなり奇抜なものを作ってきたことが言え、それが他人に理解されない一番の要因になっていたことが言えますね。

 

 それを自分で気に病む以上に、周りからやんややんや言われてきました。「山田さんの世界観全開のこれらの絵は、仕事を卸すほうにしてみれば”扱いにくい”と思われると思う」と。

 結局私にとって、自分の創造力を認めて貰えないこれらの土壌は足かせになるものでしかなかったのだと思っています。彼らの言に従って大人しい、従順な絵を描いていくうちに、私はどんどん精神を病んでいった。自分の中でぐるぐる渦巻く何かの「声」にひたすら耳を塞ぎ、心の表面だけ動かしてウケの良い表現を追い求める。

 それが自分を苦しめている、ということを理解できたのはやっとここ数年ほどの事です。

 

 自分は職人型の絵描きになるべきなのだろうとずっと思っていました。半年ほど師事した絵の先生に、「お前はアーティストじゃなく技術者になれ」と言われたことが大きい。

 それです。私は周りの声に惑わされ過ぎていた。答えは全部自分の頭の中に、ずっとあったんですよね。

 

 去年末くらいから追い求めるようになった、現在のメインシリーズ「ギアヴァリアント」の前身となる有機的な形状のメカデザインについても、絵を描き始めた当初から自分の中にあったテーマを再考したものです。結局すべてはスタート地点にあらかじめ用意されていたんだ。

 

 

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■過去作

 

 これがデジタルに移って半年ほど経った当時のイラストですが、非常に自分らしい表現だと思います。

 おそらくこれを描いていた時の気持ち、当時絵を描いていた動機に答えがある。

 

 ではまた次回。