イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「ウィング・ブースター改」

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■ウィング・ブースター改

 こんにちは。今日の一枚は、再び「ウィング・ブースター」を焼き直したものです。今回は初期のものからコンセプトをそのまま引き継ぎ、単純にブラッシュアップした形での一枚でした。

 悪くはない、というかブースター部分の描写は大分狙った形になったように思います。今回も背景が全く描けていない点にとりあえず不満は残るものの、また高め安定の出来に差し掛かってきたと言えそうです。

 最近とにかく背景の練り込みが悪すぎるので、もう少しストレスフリーに背景案が出るように多少そちらを集中してインプットするようにしますかね。

 

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■落書き

 

 さて、この数か月、特にここ数週間の折、自分がめちゃくちゃ嫌な奴に成り下がっていたことにようやく気づきました。

 最近は、自分は選択を間違えることがほとんどない、という事にやけに確信を持ってしまっており、その自分の中での「正しさ」の為ならば、人を傷つけてもいいだろうと思っていました。一時傷つけたとしても、その人を「良い」方向に導くことこそが正しい、そうできる自分の責務だ、と。

 その実自分の余計な口出しで傷つけてしまった人が多数いるように思います。

 

 しかし、どうなんでしょうね。自分が間違えなくなってきたのは一面の事実であり、自分ならば的確な助言や苦言を呈せるというのもどうも事実らしい。相手が渋い思いをすることを込みでかなり遠方の未来まで計算に入れて動くことが出来る。これはやはり私だからできる事であり、やらなければいけない事なのではないだろうか。

 その過程で私は悪者になるけれども、それで世界が正しく回るなら、それが私の使命ではないか?

 

 多分私は、個人の幸せの為ではなく最大多数の幸福の為にどういう手を打てばいいか、感覚的に解る、という能力を持ち得ているんだと思います。若いころはもっと自分の為であったり身近な誰かの為だけに動いてきましたけれど、そのせいで失敗ばかりしてきた。より正確に言えば、長い目で見れば失敗になり得る「その場しのぎの善行」ばかり重ねていた。

 今は、すごく先の先までの流れを非常に繊細に予想することが出来る。そのうえで「一番無難な」行動を選び取ることで、劇的ではないが最善手と言える一手を常に打てるようになった。

 この、「もっとも無難な最善手」というあり方が、つまりは自分の「合理」なのだと思います。

 

 例によって徹夜で作業中なので頭がヒートアップしていますね。

 しかしまあ、多分この能力に関しては裏付けも取れるし理にもかなっているものだと思われるんですよね。その内この件に関してもやもやっと考えている一連の持論に関してもこちらにまとめてみようと思いますが。

 

 ではまた次回。