イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「落下混戦」

f:id:yamadauta:20210815091325j:plain

■落下混戦

 こんにちは。今日の一枚は久しぶりにシチュエーションに振ったもの。大体タイトル通り、落下してもつれあいながら戦闘するロボットと少女、くらいのコンセプトから膨らませました。

 今回は題材の良さが描き始めてすぐ解ったため、非常に気合が入り、結果それが伺える出来となりましたね。前回のイラスト同様影を強調して描写したために形態感も良く出ていますし、全体的に非常にクオリティの高いものとなった気が致します。調子や気分によってクオリティが上下することは本来的に望ましくないのですが、まあ人間が作るモノである以上ある程度は仕方ないのかなと。

 反省点としては、前回のイラストに比べて色相的な幅が小さくなってしまった点です。この所ある程度彩度を高めることを主眼に画面を作り直していますが、その際固有色とは違う色相の色で陰影やライト部分を作ってやると、単純にボリュームのある見た目になりますね。これから心掛けていきたいところ。

 

f:id:yamadauta:20210815091338j:plain

 ■落書き

 

 さて、昨日書いた自分の絵の「分かり辛さ」の克服法ですが、一つ見えてきたものがあります。

 私の絵の分かり辛さの一番の主要因となっているのは、「コンテキスト(文脈)」の曖昧さなのだろうなと。大体「女の子を描いているな」くらいの事は見て解るのですが、ではその女の子がどういう性格でどういった趣向を持ちどういった文化帯に属しているのか、といった情報が一切描写されていない。

 良いタッチ、良い色、良い明暗を見せるための絵であるために、コンテキストとしての情報がほぼないキャラ、背景、世界観になってしまっているわけですね。

 

 現代人は、ネットに慣れ親しんできたために、このコンテキストを読む能力が高い人が多いです。多くの人の発言をダダ流しに摂取していることから、文脈や制作者の意図を読み取る能力が大体伸びるのですね。

 結果、イラストについても、「絵として良いか悪いか」といった見方ではなく、その絵に「何が描かれているか」といった見方をする人が圧倒的に多い。文脈、コンテキストを読むことで絵を理解する人がほとんどであるわけです。

 例えば「何のモチーフを描いているか」「どういった世界観が表れているか」「ストーリー的にどうなのか」といった情報ですね。

 現代人は絵を「見る」というよりは「読む」ことをしているわけです。

 

 結果として私の絵を見た人は、大体が「意味が分からないな、つまりこの絵は悪い絵だ」という感想を抱く。実際に私の絵には文脈的な意味はほぼありません。時に「何を描いたか」すら説明できない事がある。

 それが私の絵の最も大きな弱点と言えるのでしょう。

 

 

 例えば、女の子をメインに描くイラストとして同じものであっても、ただワンピースを着た女の子が佇んでいる絵よりは、意味はなくとも猫耳をつけたり制服を着せたり、表情の一つも持たせた絵のほうが圧倒的に分かり易い絵になる。先ほど言ったコンテキスト、文脈がはっきりする為に、モチーフとして解釈が一本道になり、結果見る人が迷子にならない親切な絵になるわけです。

 

 私の場合、ずっと「分かる人だけ解る絵になればいいや」という思いの元描いてきました。その実、非常に解釈の幅が広い絵を描いており、それが現代人にとってはストレスを感じるのでしょう。

 解釈の幅が広いという事は、「考えなければ理解できない」絵になっているという事です。その考える、というステップが障害になる。そんな努力をイラストを見る際にいちいちやろうという人はほぼいません。特に、ツイッターで絵を公開するなら猶更です。

 ツイッターでは様々な情報が非常に速い速度で連続して流れてきます。結果流れてきたイラストを見る際も、一瞬、時間にして一秒に満たない時間しかそれを見つめない。つまり、考えるという行為を全く行わずに絵を摂取するわけです。

 「考えなくても理解できる」絵しか、評価されないのです。

 

 大体そこら辺の認識が甘すぎたのでしょうね、私は。今更深みも厚みも全くないスカスカの表現にするつもりはないですが、しかしその表現の入り口としてある程度分かり易い門戸を設定してやることは必要なのでしょう。

 例えば今回の一枚などはその点優秀でしたね。それだけにツイッターでもそこそこ評価が入ったと記憶しています。

 私の「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」がある程度両立可能なのが分かりました。あとは実行していくのみですね。

 

 ではまた次回。