イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「夜を歩く」

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■夜を歩く

 こんばんは。今日の一枚はある程度モチベーションを組み立て直して描いたもの。構想に時間を使ったため、一目新しいものが出ていますし練り込まれた出来となりました。また、今回陰影を若干濃くしてみたのですが、おかげで全体のコントラストが上がりぱきっとした見た目になったうえで立体感が非常に良く出た気がします。

 陰影については、特に回り込みにあたる部分の影を濃くしてやるとそれっぽく見えやすいようですね。今まで全体に均一な明度の陰影をつける事が多かったので、それが立体感を削ぐ結果になっていたようです。特に最近は二影までの陰影描写に拘り過ぎていたのかなと。ある程度重厚に塗り込んだ方が、自分の場合良くなりますね。

 

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■落書き

 

 さて、昨日書いたことを一日ぼんやり考えていましたが、やはり自分は根本的に「幸せになる」ために生きている人間ではなく、ただ一生才能を伸ばし、それを行使し続けるために生まれてきたのでしょう。自ら苦しみ続けることが義務であり、またその過程でどうしても他人を苦しませてしまう。

 どうやってもそうして生きることを選び取ってしまう、そうとしか生きられないタイプの人間なんだと思います。

 

 大体にして私は、理性ではなく本能で自分の意思決定を行っている向きが強い。おそらく右脳優位の直感型の人間なのだと思います。

 こちらに書いている絵の理論や毎回の絵の反省、様々な事柄の理屈についても、ほとんどが頭で考えてひねり出したものではなく、インスピレーションによって「なんとなくこう思う」というひらめきを得て形成したものです。私は利き脳的に「直感で捉えて理論で処理する」タイプの右左脳人間らしく、つまりは自分にとって理論とは直感を後付けで説明するための単なるツールなのですね。

 

 私の場合この直感の精度が非常に高く、悪い予感や良い予感が高確率で的中する。十代の頃にそれに気づいたので、以降直感をより正確に聞き取り、それを分かり易く言語化して記憶することをずっと意識してきました。

 多分、私の才能の根源になっているのがその直感力なんでしょう。

 

 絵を描くときも大体が理論に従って描いているわけではなく、直感で「ここはこうしたほうがいいな」「ここはこう修正した方がもっと良くなるな」という描き方をしています。それが人によっては「何も考えず」「手癖」で描いているように見えてしまうのでしょう。私と逆の左脳優位の理論型人間にほどそう見えやすいようです。

 それだけに私の絵は、「なんとなく凄いけれど何が凄いのか言語化し辛い」出来になる。本能で良いタッチ、良い色、良い明度を選び取っているので、感覚的にしか理解できない絵になっているんですよね。

 どちらかと言えばイラストというよりは抽象画に近い趣があるのだと思います。

 

 

 それが私の発想力の源泉であり、型に捕らわれない造形や無限に湧いてくるアイディアのもとになっているんだと思います。

 要するに「理解し辛い」のは結局私の強みであり、それを変えてしまったらもう私の良さが全て損なわれてしまうんでしょう。これに関してもどうしようもないですね。ここ数年は意識して自分の長所、短所を言語化するように努めてきましたし、結果私の絵はある程度「分かり易く」なったものの、それが私の絵にあったなんとも言い難い迫力を大分削いでしまった。

 自分の強みを生かすならば、もっと直感に振って、元の理解し難い魅力を取り戻した方がいいんでしょう。そう思うと私の絵は最初期こそが真骨頂であり、そこから「イラストらしい」表現を取り入れるうちにどんどん劣化していったのでしょうね。

 

 とはいえ分かり易さは結局必要になるわけで、ここからすべきことは解り易さと自分の理解不能な魅力をなんとか両立させていくことなのかなと思ったりします。そんなことが実際に可能なのかわかりませんが、まあ長い目で見てやっていきましょうか。

 

 ではまた次回。