イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「バーサーカー」

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バーサーカー

 こんばんは。今日の一枚は先日の一週間休養の前に描いたものに当たり、当時全く何も思いつかない時に義務感だけで描いたものになります。結果デザインも構図も景観も、ただただ漫然と置いたものとなり、大分悔やまれる出来になりました。

 客観的に見てそもそもの基礎力は向上しているため、有り合わせの素材で料理してもそこそこ美味い出来にはなるのですが、正直こんな不出来なものを生み続けるためだけに毎日筆を執る意味はないなという気がして来ています。現在は休養後という事もありまた多少モチベーションは戻ってきていますが、やはり多少生産量を落とすのが良いのかもしれません。

 

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■落書き

 

 さて、さりとて先ほども書いたように、基礎力は練習した分向上するわけで、最近は描写としてとても安定するようになってきた気が致します。

 絵に正解はないと言われますし、私もそう思っていますが、相対的な物ではあれ「正しい線」「正しい色」「正しい明暗」というものは歴然として存在し、目が育てば育つほど「どう手を動かせば正しい描写になるか」が解るようになっていく。

 私も最近そこら辺の絵の理解の解像度が一定のところに達してきたのを感じています。

 

 それら、0.1ミリの誤差での正解を積み重ねていくことが絵の技術と言えるのでしょう。個性や表現意図とはそれら技術的側面と完全に切り離して考えるべきものであり、個性的な絵にとっても「正しい」描写というものは存在しますし大切です。

 私も昔はそこが分かっておらず、「正しい絵に近づくほど絵の個性は削がれていくのではないか」と考えていたのですが、それは違うんですよね。正しさには無限の幅があり、その幅の範疇で自分の味を出すことが「個性」なんです。絵の巧さと個性とは、両立可能なものなのですね。

 

 ではまた次回。