「魔性」
■魔性
こんにちは。今日の一枚も比較的ストーリー性に振ったもの。少女の秘めたる魔性が影となって現れている、くらいの構想から膨らませました。
またある程度仕上がりが安定するようになってきたことが言え、今回も過不足なく筆が入っているために全体の情報量としては決して多くないですが、そこそこではと思います。
そろそろまた退屈し始めているので、新しい路線を見出すべきかと思い始めていますが、とっかかりがなかなか掴めませんね。
■落書き
さて、そんなわけで、先日の落ち込みを経て一周回ったのかまた変な自信がみなぎるようになってきました。自分は絵描き全体を見ればそこそこの位置につけているのではないかというほぼ確信めいた自負。
自己肯定感が高まることは悪くないと思うのですが、自分の場合この状態になると徐々に現実と理想の折り合いがつかなくなっていくんですよね。だからあえて自分を下げる事でバランスを取ろうとしてきたのですが。
最近思い知るようになったこととして、「一般並みの幸せ」を得ることが誰にとっても幸福とは言えないのだなという事があります。周りから見て不幸な自分でいることでようやく自分自身を許せる人がいる。全て失ってからようやくその価値に気づくことが出来る人もいる。
「あなたはこうすれば幸せになれますよ」という押しつけは、結局そうした人の多様性にそぐわないんですよね。
それを思えば私も、単純に自信を付ければいいとか自分で自分に承認を与えられるようになればいいとかいう一般論に当てはまらない可能性もある。
そして何より、人がある一定の不幸と見える状況から抜け出せないのは、実はその状況が本人にとって居心地がいいからである、という逆説的な事情があるのではないかと思います。つまり、私はこうやってグダグダとうだつの上がらない生活を続けることにある種の依存的な心地よさを見出している可能性がある。
世間が悪い、自分は才能があるのだ、と信じ続けていれば、本当は一般にも劣る自分を直視しなくて済む。それでいて絵を頑張っているのだから自分は一生懸命生きているのだという免罪符を得られる。
そうした歪んだ認知を正さなければ、私は先に行けないのかもしれない。
実際これを画面に打ち込んでいる現在、すごく嫌な感じが頭いっぱいに広がっています。私は知らず知らずのうちに、そうした現状に甘えている事実から目を背けているのでしょう。
ならばどうすればいいか、を考える前に、まず正しく自分を認知することから始めなければいけませんかね。
ではまた次回。