イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「夜の海へ」

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■夜の海へ

 こんばんは。今日の一枚はバイクイラスト。元々は町中をバイクで走っているくらいの構想でまとめるつもりでしたが、描いていくうちに構図に無理を感じて手癖で修正したものになります。結果かなり出来が落ちました。

 まず、バイク含む画面の構成要素がほぼ真横からとらえた形になっており、画面と平行なラインが多すぎて平面的になっている点。主題である「海」がどうも主役に見えない点。

 今回も「降ってきた」構図ではなく、モチベーションが低い時に無理やりひねり出した構想であったためやる気が全く起きなかった形でした。いい加減なんとかしないとなと思う所。

 

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■落書き

 

 さて、昨日一日は午前中思いっきりだらだらして午後からは仕事に出かけ、ある程度のリフレッシュとなったはずなのですが、しかし現在絵に向かう気になれずぐだぐだとネットサーフィンを繰り返しています。

 モチベーションの谷間に差し掛かってきたようですね。

 まあ、やってもやっても成果が出ないどころか実際のところ評価という点ではどんどん後退しているので、やる気が出ないのもむべなるかなという感じではあります。

 

 特にこの数週間、自分に絵の才能がないことをはっきり思い知らされ、今まで自分が評価されてこなかったのはそのまま自分に実力がなかったからであると理解させられた。このままだらだらと絵を描き続けたところで、どうせ自分は何者にもなれない。

 であれば、さっさと絵に見切りをつけてもっと自分が得意な分野を探した方が、私は幸せになれるよなと思うわけです。

 

 客観的に考えて、このまま絵を続けてもそこに何か意味が生じ得るとは思えない。

 今まで「自分には自分にしか描けない世界がある」というたった一つの確信の元突き進んできた。しかし、そうして描いた世界に興味を持ってくれる人は、今まで数えるほどしかいなかった。今以上に評価されたいのであれば、他人に迎合した、ステレオタイプの世界を描くしかない。しかしそれを「私が」やる事に意味はあるのか?

 

 万人が「正しい」と言う、ただ正しい「だけ」の絵など、知識さえあれば誰にでも描ける。そう思ったから自分のやり方に拘ってきたのに、結局それでは駄目だと言う。なら、私が描く必然性などどこにもないではないか。私にしか描けない世界を本当に必要としているのは、要するに私だけで、やはり創作とは真の意味で自慰なのだ。

 

 …概ねそんなことをずっと考えていたようです。

 

 なんというか、言語化できるとやはりある程度落ち着きますね。

 所詮自慰ならば、これ以上変な期待などせずに、ただ黙々と描けばいいではないか。理解してくれる人だけがついてきてくれればいい。もう共感は求めない、私は私を救うために絵を描く。それでいい。

 

 ではまた次回。