「ドラゴン=ソルジャー」と「人造女神を臨む街」
■ドラゴン=ソルジャー
こんにちは。今日の一枚目は大体いつも通りのもの。背景のシルエットのパターンを変更したりして地味に抵抗してはいますが、やはりこうしたものを描き続ける意味はもうないですね。
今までこの方法論でかなりの数描いてきましたが、私のように学習効率の悪い人間でも描き続ければそれなりの進歩は見られる、という実証にはなりました。そろそろ新しいことを組み込んでいこうと思います。
■人造女神を臨む街
というわけで、多少考え方を変えて描いてみたものです。背景はおおむねシルエットに留まっているのですが、世界観をある程度演出できたという点では成功かなと。こうした特殊な世界観が強く出るものは割と人を選ぶので、より分かり易い形に寄せていく必要はありますね。
そんな感じで、ようやくストック分を出し切ったので、明日から背景を詰めて描いたものをお見せできる見込みです。
■落書き
さて、相変わらずお疲れ気味です。この数日はまた朝起きるのがつらい状態になっており、今朝も布団でうだうだするうちに八時近くになっておりました。ひとまず週末中にある程度まとめて睡眠をとって、ストレスと疲れを解消しておこうと思っております。
ちなみに、昨日もご紹介した「映画大好きポンポさん」の原作単行本にて面白い記述があったのでちょっとご紹介しようかなと。
人が何かを学び始めた時、最初は楽しさと興味も手伝ってぐんぐん上達します。しかしどんな人であっても、上達の度数がある程度までに達すると成長がぴたりと止まってしまう。技術的スランプとはまた違う、個人個人の才能の限界。
これを「プラトー」と呼ぶそうです。
多くの人々はこうしたプラトー状態になった際、自分の能力に見切りをつけて努力をやめてしまうか、別の道を探し始めるのですが、ごく一部の強固な信念を持った人間、上達も達成感もない辛い日々をそれでも継続し続けることのできる人間は、何かのきっかけで才能の天井を突き抜けることができる。
その際、今までの積もり積もった努力が爆発し、一気に階段を駆け上ることができる。これがいわゆる「覚醒」である、という記述でした。
私はさほど才能には恵まれていない人間です。単純に人よりも努力量と継続量が上回っていたからここまで来れたに過ぎない。であれば、私が目指すべきなのもこの、プラトーからの覚醒、という流れなのでしょう。
覚醒のきっかけは人それぞれであるらしく、これをやれば必ず、というものは存在しないそうです。まあつまりは私はこれからもあるかないかわからない上達を信じてひたすら描き続けるしかないわけですが、しかし目指す先が見えたことで多少光明を得た気になりました。
今はまだ将来も見えず真っ暗闇の中を手探りで進んでいる状態ですが、それでも私の中には一つの確信がある。
「自分は良いものを描いている」。
その確信を支えにこれからもじりじり進んでいこうと思います。
ではまた次回。