「蜃気楼の街」
■蜃気楼の街
こんにちは。しばらく空きました。今回の一枚も前回に引き続き背景を主体に詰めたもの。前回の課題であった色相的な「貧弱さ」をある程度補正する練習でした。
これに関しては非常にイイ結果が出たと言うか、近作の中でもかなり表現意図の明瞭な解り易い出来になり、また各部の描き込みも適切であったと見えてツイッターでの評価が自分にしてはかなり伸びました。今回、距離感に応じての彩度と明度の振り分けを結構丁寧にやったのも効いたのでしょうね。
■落書き
さて、また四日間程寝込んでおりました。先週は二週間活動してみようと若干無理をして寝込む日を繰り越したのですが、結局体力が持たなかった形。やはり今の最善手は一週間に二日程度の休みをコンスタントに取って行く事と見えます。
一週間ごとに予定が立てられるのであればむしろビバですし、今後しばらくはこの一週間サイクルで寝起きしてみようかなと。
尚、この所こちら、はてなブログのほうで、久し振りに見聞を広げようと積極的によそ様のブログを拝読させて頂いております。自分とは違う考え方、盲点となる視点などに気付かされますね、こうした体験は非常にこう「痛痒い」と言いますか、栄養になります。
その中でも、大抵の絵・イラストブログをされている方は「なぜ自分が絵を描くのか」という一点に非常に真剣に向き合っていらっしゃるなという所感を抱きました。その「なぜ」の部分は、仕事として、であったり、自分の表現手段として、であったり、またはそれを突き詰めたいからであったり、様々なのですが、そのどれも私とは違う考え方なので興味深いです。
私は昔から、自分のやる事は大体義務だと思って事に当って来ました。絵もその例にもれず、初めはただ楽しくて描いていましたがすぐに自分にとって「義務」、しなければいけない事になった。故に私は今まで、ほとんど疑問も持たずこの趣味を続けて来ました。私にとっては何でもかんでも義務にして事務的にこなすという方法論がたまさかハマっているのでしょう。その窮屈さにほとんど疑問も抱きませんでした。
しかし、周囲の方が真摯に「絵」の「在り方」と向き合っていらっしゃるのを見ると、非常に羨ましくなります。苦しみながらも自らの活路を見出すために「描く」という在り方は、私にとっても変わらず理想であるのでしょう。
今の所私は私の方法論を変える必要性を感じていないのですが、それでも周囲の方の強い想いや意気込み、努力と言った物は、日々背中を押してくれます。これからも刺激を与え合える存在で居られればと思いますね。
ではまた次回。