イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「掃除屋達の午後」

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■掃除屋達の午後

 こんにちは。今日の一枚は相変わらずキャラを主体にしたもの。キャラだけの描写になるともう問題なく纏まるようになってきましたし、これ以上「練習」という形で反復を繰り返しても意味が無いなと思っているものの、なかなか背景をしっかり描く気になりません。そもそも「背景」と「キャラ」という形で絵を「分ける」考え方が自分の構図作りを阻害しているのかもしれませんね。

 人物がただ佇んでいる場面であっても、周囲の情景やライティングを作りこんで行く事で自然と背景を作りこんで行く事になるわけですし、現在の私の「背景のシルエット化」という方法論はそもそもキャラと背景を分ける考え方ありきの物と言えると思いますし。この所アングルをある程度しっかり作るようになり始めたため、画面の見栄えとしては上がっていますし評価も地味に伸び始めつつはあるのですが。

 

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■落書き

 

 さて、昨日辺り、ラフ画から進まないまま修正の沼に陥っていたココナラの依頼のほうが一歩前進しまして、ようやくラフが通りました。昨日の内に仕上げも済ませてしまい、あとはそれにOKを貰えば依頼完遂という状態です。

 いやー…キツかった。正確にはまだ終わりではないのですが、ようやくこの一週間ほどの肩の荷が下りた気分です。やはりココナラの窓口は今回限りで閉める事に致します。修正地獄という局面がかなり自分の精神に負荷を掛ける事が浮き彫りになったので…。

 思えばちゃんとした依頼で描くと言う行為そのものが自分には向いてなかったんですね、やっぱり。

 

 そんなわけで大分気分が軽くなりました。またこちらでは大崩とはいかないまでも若干荒れてしまい失礼致しました。

 余裕が出来たので次の局面をぼちぼち考えているのですけれど、恐らく自分の中に今までにない新しい風を吹かせる事がカギになるのだろうなと思っております。その為には新たな境地となるべきアイディアを持つ創作に出会う事かなと。少しインプットの幅を広げてみようかなと思いました。

 そのために、まずは古典に触れる事から始めようかなと思っております。

 

 今まで、古近代の画家の作品と言う物にほとんど興味を持てず、美術館に行くどころか画集での閲覧すらもほぼほぼしてきませんでした。しかし、先日偶然テレビを付けましたら、舞妓さんの特集をやっていまして。

 コロナ禍で発表の場を奪われた新人舞妓さんが初めて舞台に立つという一連の流れをドキュメンタリー化したものだったのですが、その中で舞妓さんの宿舎のおかみであるという女性が、「”若い女性の生きる場所”としての”舞妓”という在り方を残して行かなくてはいけないと思っている」みたいなコメントをされていたんですね。

 

 正直、私は古い物や昔からある慣習などをことごとく軽視しています。理由があってそれらが生まれたのは解っていますが、その多くは「理由」ごと古くなってしまっていて、多くは革新に迫られていると思っています。今もその考え方は変わらないのですが、件のニュースの特集を見て、「伝統」というものは、思えば人の歩み、人類史そのものなのだ、という点にぼんやり思い至りました。

 それは、多くの人間が産まれてから死ぬまでに一度は通る道を体現した物であり、であれば私が今一度その道を追体験する事にも何か意味が在るのではないか、と。

 

 いきなり美術館に出向くのはハードルが高く感じるので、差し当たってまた暇な日にでも図書館に出向き、図録を探してみる所から始めようかなと思います。何かいい結果を持ち帰ってこられると良いなと思いますね。

 

 ではまた次回。