イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「イナリ」と「鉄鼠」

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■イナリ

 こんにちは。今日の一枚目はひどくモチベの低かった時に描いたモノです。今回も動物モチーフとして、「狐」をモチーフに練り込みましたが、キャラデザ、塗り込み、全体の処理に至るまでかなり甘さが出ましたね。この所また「自分が描く意味などあるのだろうか」と言う点を延々悩んでおり、それが絵の出来に迷いとして強く出ていました。一旦考える時期を挟むべきかと思っています。

 

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■鉄鼠

 こちらも「ネズミ」モチーフで作り込んだもの。それなりの出来とはなっていますが、やはり改めて描く意義があるかと言えばどうか、ですね。

 

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■落書き1

 

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■落書き2

 

 さて、そんなわけで、またモチベと体力が切れたために二日間ほど丸々寝ていました。

 以下、最近考えていたことをダラダラと書き出してみます。読み飛ばし推奨。

 

 

■絵のやりがいの話

 

 まあ、相変わらず評価が全然上がらないわけです。その点は「他人の見たいモノ」を描いていない事に一因があるのは分かったのですが、かといって「自分の描きたいモノ」を描いているとも言えない現在、描いても描いても報酬を貰えない、自分でも自分に報酬を与えられない、という状態で、また義務感だけで描き続ける状態になっていました。

 偶に際立って良いモノが出来ると、評価としても若干上がりますし感想なども幾つか頂けて励みにはなるのですが、次の一枚からその「際立って良くできたもの」が評価の基準となり、今まで通りのモノを描いていても今までと同じ評価は貰えなくなる。結果、頑張れば頑張るほど自分の首を絞める状態になっていました。これが非常に苦しい。

 加えて、ツイッターはじめSNSやブログなどを見ていると、どうしても自分以外の人が描いたモノやそれに集まる評価などが目につき、ひどく消耗させられていました。私程評価されてない人間がどうも身の周りにはいない気がして、自分だけが常に割りを喰っているような気がずっとしていた。

 

 私だけが、この世界でずっと不当な評価を得ているという感覚。

 これがとにかく孤独で、分かち合える他人もいない事から、誰を恨めばいいのかもわからないし誰に打ち明ければいいのかもわからない。偶にツイッターで愚痴を吐いてしまうと「あなただけじゃないよ、皆仲間だよ」みたいなことを言われて、いや、私はずっと一人で絵を描いてきたしそれは皆もそうだよ、仲間じゃなくて評価を喰らいあってる敵同士だよ、私たちは。

 そう言いたくても言えずに適当にぼかした返信を送る。

 結果自分の内心抱えているもやもやは膨らみ続けるし、どこに吐いても共感を得られないばかりか吐けば吐くほど自分の状況は悪くなるわけです。

 

 先ほども書いたように、「自分の描きたいモノ」が描けているならそれでもいいのでしょう。しかし、とっくに描きたいモノなんてのは尽きてしまっていて、正直この一年程はほとんど描く意義も楽しさも見出せず、ただただ絵を描かなくなってしまえば自分の価値がなくなるという恐怖と強迫観念だけで身を支えてきた。

 その結果ほとんど安らぎの無い状態で日々積んでいるわけです。

 

 毎日目が覚めるたびにうんざりする。ああ、また生き延びてしまった、今日も起きるからには絵を描かなければいけない。そうして絵を描いている間はイライラしてモヤモヤして、こんなものを一生懸命描いたところでどうせ大した結果にもつながらないし、結局自己満なら辞めてしまった方が余程楽だと…そんな事がずっと頭の隅で蠢く状態で筆を動かし続けて、一日のノルマを終えるとある程度スカッとするのですが、同時に絶望するわけです。

 こんなにしんどい事を明日もやらなければいけないのか。それも、大して褒められるわけでもなく金を貰えるわけでもない、タダの趣味なのに。

 

 「辞めてしまえばきっと楽になれる」。

 そんな考えが一日の内に何度となく頭を巡る。だけどそれは考えるだけで怖くて、一体絵を失くした自分に何が残るというのか。今まで絵の事だけを考えて、絵を描くための環境を整える事だけに専念してきた。そんな自分が今更絵を辞めたら、また沢山のモノを失う。

 そんなことを考えて床につくと、夢の中でも延々絵を描き続けている。

 

 気が狂いそうになります。どこにもたどり着かない電車にずっとゆられているような。

 

■収入の話

 

 そもそもの話、絵を収益化する事の無理は段々解ってきた。私程度の知名度、実力の絵描きが仮にSkebなどのサービスを開設したところで、そこまで安定した収入にはならない。じゃあ生きていくためには別の仕事をしなければいけないという事態なのだけれども、そもそも私には目立った職の経験がなく資格などもなく学歴は中卒です。そんな全く旨味の無い、三十を超えた男を雇ってくれる職場などそうそうない。

 しばらく前から、両親がいなくなったらもう生活保護を受けて、細々と絵を描いて暮らす生活が出来ればいい、くらいに思っているのですが、じゃあその自分から絵を取ったら何が残るのか? そう考えるとひどく怖い。

 

 いつの間にか、というか十年以上前から絵=自分の価値になってしまっている。

 その絵が世間に認められていない以上、自分の価値など無いも同然ではないか?

 

■絵の構想の話

 

 ずいぶん前からこちらにも描いてきましたが、正直もう新しいアイディアも描き甲斐も見込めなくなっているわけです。義務感と惰性だけでとにかく次を描く生活。息苦しくて仕方がない。

 二十年前から一万枚以上を描いてきたせいで、もう描いたことがないモチーフもテーマもほとんど残っていない。

 この状況は私が絵を描き続けている限り続くわけです。苦しい。一体私は何の為に日々筆を執っているんだ。

 

 

 

 とりあえず考えている事を書き出してみて、やはり絵に遣り甲斐を感じられなくなった、というのが一番大きな問題である気がしてきました。そりゃ評価を得られればそれが遣り甲斐に代わる可能性もありますが、他人からの受動的な報酬を支えとしないほうが良いと思う。

 やはり、ある程度コンスタントに絵で新しい事を見込めるようにする、というのが最適解ですね。

 

 ひとまずその部分を探っていくとして、あと三、四日くらいはまともに絵を描かずにうだうだしていようと思っています。とにかくモチベが切れてしまっている。しばらくインプットなどを重視しつつ回復に専念します。

 

 こちらに未掲載分が1.5日分くらいはあるので、それらを載せきった段階でまたどうするか考えるつもり。

 まあ、ホント、絵なんか辞めてしまえばすっきりするんでしょうね。しかしてそれが出来ないのも解り切っているので、やはり苦しくても進むしかない。

 

 ではまた次回。