イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

ギアエコーズ新6

 こんにちは。中継ぎ六回目です。

 

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■18

 

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■19

 

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■落書き6

 

f:id:yamadauta:20201123054944j:plain■落書き7

 

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■落書き8

 

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■落書き9

 

 これらは数日前に描いていたものに当るのですが、どん底だった気分もどうやら持ち直し、徐々に調子が戻って来ました。18辺りはツイッターでの評価も比較的高い物を頂き、まあ然程目新しい物は出せて行けていないものの自分でも一定の満足感を得ましたね。

 今回で一旦中継ぎは終了とし、次回から新シリーズ「デビルノートン」を載せて行きます。

 

 

 さて、また余談と言うか関係の無い話になりますが。

 先程まで、この数か月頻繁に通話に誘って下さる絵描き様といつものように通話しておりました。今回の件でもとにかく心配をおかけしていたのですが、その方にこの数週間あった事を諸々報告しているうちに、なにが自分を一番苦しめていたのかというのも言語化出来て来まして…。

 

 私は、状況を俯瞰する力に特に優れているので、昔から何かと調整役に起用される節があります。小学校では高学年時児童会に誘われて色々やっておりましたし、中学に入ってからもやたらと委員長や班長などと言ったポジションに推される。

 で、まあそうした立場で動いていると、自分が動く事で巧く行く局面と言う物がどんどん増えて行く訳です。それに相乗して経験値も溜まる訳で、現在に至るまで私が陰日向となりながら動いて成功させてきた物事が、大小問わず無数に存在するんですね。

 

 いつからか、自分に架せられた役割とは人の生き方を円滑にサポートする事なのだ、と思い至り、それに尽力するようになって行きました。それからは自分の主観を極力排し、ただひたすら「相手にとって良い事」を考え実践し続けてきた。

 まあ権力も地位も無い人間ですし、然程大したことは出来ないのですが、例えば落ち込んでいる人を見たらとりあえず声を掛け励まし気持ちを聞いて上げるとか、孤立している人を見たらさりげなく会話に引き込むようにするとか、ネットでも不遇な人を見たらまずは引き立てるようにして来たわけです。そうすることがいつの間にかあたりまえのようになっていました。

 

 しかし、そうしていささか上手く行ったとしても、相手は特に私に感謝したりはしない。「ありがとう」という言葉は無数に得て来ました。それだけが私の活力源だったと言える。しかしこの数週間、何を成功させても相手は「なんかよく分からないけど上手く行ったわー」みたいな感想を漏らすのみで、滅多に感謝の言葉を頂く事が出来ませんでした。

 それが徐々に辛くなって行ったようです。私が辛い辛いと言っても、あの時助けた人たちは私に何の言葉も掛けてくれない。いったい私がして来た事とはなんだったのか?

 そんな事を煮詰めはじめると本当に辛くなり、それが大爆発に繋がったようです。

 

 これに関しては、結局全て私が悪いわけなんですよね。助けたといってもそれは、私がただ主導的にやりたくてやった事に過ぎず、言ってしまえば余計なお世話なんですよ。それが多少色よい結果を出したからと言って、私がリターンを求めるのは逆におかしい。そんなに頑張った結果が欲しいのであれば、もっと別の手堅い手段が幾らでもある訳ですから。

 

 私はいつの間にかかなり欲深い人間になっていましたね。結果も欲しい、評価も欲しい、人からの信頼も欲しい。数週間前まですべての事が上手く運んでいるように見えた反動なのでしょう。

 それがよく分かり、多少反省しました。生き方を変えようとは思わない。実際に私が動く事で救われる人がいるのは単なる事実ですから。しかし、私も人に救われて生きていると言う事は理解しなければなと思いました。思えばそこを見失ったせいで追い詰められたような物ですからね。

 限界を迎える前に、信頼できる人に相談するようにしないとなと。

 

 ではまた次回。