一時間落書き1~3
こんにちは。今日からこちらでは、七月辺りから継続している一時間落書きを順に載せて行けると良いなと思っております。
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一時間落書きは、集中力の持続する一時間の区切りで絵を考え、ひとまずは一時間内の完成を目指す、という趣旨で六月ごろから開始いたしました。
差し当たって、1は三十分、2は四十分、3は五十分程の作業に成りました。こうして描いてみると、細部の仕上げは粗いものの、一時間程度でも人物の立ち絵くらいなら問題なく描けるらしいことがはっきりしました。あとは、一時間と言う限られた時間の中でどれだけ発想を出せるかという所でしょうか。
■経過製作二日目
これからしばらくは、一時間落書きと経過製作を順次載せていく形になると思われます。
さて、昨日描いた「絵を描く意義」に関してですが、それはもうこちらのブログでは常々それについて語って来ており、都度様々な答えを用意してきました。ただ、答え等と言う物はそもそも実態がないものであり、例え一時それに縋ったとしても、すぐに次の答えを欲するような、そういうタチの物であると思っております。
「描く事に理由など無い」「息をするのと描くのは変わらない」
本来私にとってはそうでしたし、これからもそうあれば良いと思います。まあ、体力の衰えでどうしても描くのに気合いが要る現状に成って来てはいるのですが。
尚、昨日は病院に行ってきており、職員様の息子さんが農業系の高校に通っているという話をお聞きしました。そこでは普通教科には然程力を入れておらず、一年の内は日常態度の強化、社会に出た時の対応力にまず比重が置かれるそうです。二、三年になるとより専門的な授業が始まるそうなのですが、この前の期末の内容が、例えば農業だと写真が並んでおり、「この写真の時どのような授業をしたか応えよ」といったような内容になっているとか。他にも、保健体育の試験ではラジオ体操をやらされ、少しでもやる気が見られないと追試になる、というようなお話を聞きました。
昨今、不登校YouTuberといった子も話題ですが、実際に私達現世代の大人が体験した事のないような世界が間近に迫っているのかなと思わせます。その新しい時代には、もしかしたら基礎学力など必要のない社会が築かれるのかもしれない。
どちらにせよ、「自分は学校でこう言う勉強をして苦労したのだから、新世代もそうあるべきだ」などと考える大人にはならないようにしたいものです。
ではまた次回。