落書きキャラデザ機構都市再編1
おはようございます。今日からまた資料を参照し、複合する技術の練習としての、キャラデザシリーズ「機構都市再編」を始めて行こうと思います。いつも通り一度に二体ずつくらいご紹介出来れば良いなと。
■1.廃屋荒らしの運び屋
■2.水源を守る修羅
今回のシリーズでは先日の夕橙様のご意見を参考に、ある程度人物の置かれた状況や環境などを考慮してストーリー性を重視したヴィネット風キャラデザインにしております。
やはりというか、初っ端の運び人からいきなり今までのキャラデザイラストの評価の最高値を更新する量のご評価を頂きまして、改めて自分の在り方は「商人」系なのだなと感じました。修羅も、運び人と比べれば若干数値は落ちた物の高い評価を戴きまして、これは夕橙様が仰るように、世界観の内容さえしっかり示せば私のやりたかった事も評価されるのだなという実証になりましたね。
反省点としては、二体ともどうも人体が不安定な点、ディテールが説明しきれていない点、クオリティとしてキャラデザ新章や続章に及んでいない点などが挙げられます。実は最近若干疲れて来ておりまして…またこれは後述しますが、しっかりしないとですね。
さて、そんなわけでここからは愚痴です。
最近、自分は評価を得るために絵を描いて行くんだ、という部分がはっきりし、そのせいか以前に比べコメントなどで絵やキャラを褒めて頂けることが徐々に増えて来ました。大変嬉しいですし、今まで自分がやって来た事も無為には成らなかったのだなと胸をなでおろす思いです。
ただ、時折「これ以上評価を得て、それがどうしたと言うんだ」という魔がさす。
現在、大体製作の一枚絵に入る評価は四十~五十辺りが平均で、RTも十行くか行かないかです。最高でもRTは二十を超えたことがなく、イイネも八十辺りが限度。今私をフォローして下さっている方が四百五十人ほどなので、大体十人に一人くらいしか私の絵を評価して下さっていない計算になる。
しかも、その四百五十人は、一応は私の絵に興味を持ち関係を持ち続けたいと考えていて下さるだろう方達です。もし、私にも、絵そのものにも興味が無い人の間に私の絵を置いたところで、百人に一人程度も見向きされないのは明らか。
でも、と思うんです。将来的に百人、千人に評価されるような絵描きに成れたとして、それがどうしたと言うんだろう。世の中には六十億人から人が居ます。そのすべての人に評価される絵などあり得ない以上、結局絵描きは孤独で居続けるしかないのではないかと。
虚しいな、と、偶に思います。何時間も掛けて、実際には今までの十年以上の年月の全てを賭けて作品を作り出したところで、たかだかそれだけの人数にしか見て貰えない、イイと思って貰えない。絵描きと言う生き物は、一体何のために絵を描くのでしょうか。
まあ、それでも絵を描くこと以上に楽しい事を私は知りませんし、これからも描いて行くのでしょうけれど…若干、疲れているんだと思います。つい、ネガティブな思想にまみれてしまいますね。
いつも通り結論は出ませんが、また次回。