イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

告知と過去作と今後の展望

 こんにちは。どうやらこの所の不調は季節の節目に現れるものでもあったようで、温かくなった今日は普通に作業できました。ただ、まだどうなるか体調が読めないですし、もう少し様子を見たいと思います。

 

 さて、先日ちらっと匂わせましたが、この度合同管理人・青道要と共に、「技術派絵描きチャット会(仮)」という組織を立ち上げました。

 今日と明日の二日間、午後九時から午前零時までの三時間ずつ、チャット会を開催致します。詳細はこちらのブログの下部をご覧ください。

yamadauta.hatenablog.com

 ご参加をお待ちしております。

 

 さて、特に載せるものもないので恒例の過去絵を載せてみようかと思います。

 

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 今回は自分が低迷期と言う事で、三年前自分がスランプに陥っていた時描いていたものを供養の意味も込め上げてみようと思います。

 当時、自分の絵には評価してくれる人、特に褒めてくれる人が全くおりませんでした。描いても描いても仲間内で欠点ばかり指摘される。その内自分自身が褒められたい一心で絵を描く自我の塊と成り果て、本当に酷い有様でした。当時の焼け付くような焦りが絵に良く表れているなと思います。

 

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■2

 そんな時だったので、自分もずいぶん人や絵に対して頑なに成っており、この一時人と交流する術をツイッター以外すべて断ち、弱音も吐かないようにし、とにかく絵を描き続け、その中でより完璧な自分を作り上げて行こうとしておりました。

 

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■3

 ただ、自分の中でどうしても向上心が枯れなかったので、当時自分は作業所に通い就職を目指すことも目標に加えます。大体週三日ほどの就労訓練だったのですが、当時から睡眠・休養のリズムが崩れていたために全く次のステップに進めず、それでいて絵を描く時間だけはどんどん削られて行く。本当に気が狂いそうになった時期でした。

 

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■4

 この当時の絵を見ていると、本当にその苦しみを分かって欲しいが故の主張が激しくて、目が痛くなりますね。描いても描いても誰にも評価を付けて貰えない、仕事にも上手く通えず、休むなら連絡をしろと言われてしまい気ばかり重くなって行く。

 それでも当時の自分は周囲に助けを借りるという選択肢を持たなかったので、ただひたすら自分を削り続けていました。

 

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■6

 そんな自分を見かねたらしく、就労支援の担当の方が「まずは生活リズムをなんとかしてから考えてはどうですか?」と助言下さいました。救われた気がしたのですが、同時に見放されたという感情も沸いてしまい、それから数週間家にこもり、絵ばかり描く生活に入りました。

 

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■7

 なんとか、「自分も出来るんだ」という証が欲しかった。ただ、そんな時にツイッターに一言、「数描いても上手くならない人もいるんだね」という呟きが流れて来ました。

 私に向けて呟かれたものかどうかはわかりません。でもその一言で何もかもが折れてしまい、自分は二週間布団に籠って、絵も描かず、食事もろくにとらず、部屋からも出ず、ネットにもつながないという日々を過ごします。

 

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■8

 今思えば酷い時期だったと思います。でも、当時の自分にとってはそれでもまだマシなほうでした。ぶっちゃけそれまでの時期のほうが輪を掛けてしんどかったので。

 布団に籠ったまま寝ているのか起きているのか分からない毎日を過ごし、一週間たったところでようやく気休めに漫画を読み始める所まで回復しました。それからカップ麺ですが食事もとり始め、どうにか気持ちが持ちなおしたのが年明けでした。

 

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■9

 三週間ぶりくらいにツイッターに繋ぐと、ささやかな交流の合った方からすぐにリプライが着ました。「心配してました」と言って頂き、本当に涙が出た。馬鹿な事ですが、その一瞬までは本気で、自分は死んだほうがいい、死ななければいけない人種なんだと思っていました。だから、救われた気がした。それから、少しずつ絵を描き始めました。

 

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■10

 一度すべてが途絶えたことは、たぶんその当時の自分にとって、辛くても必用な事だったんだと今は思います。それから自分は一転して楽観的にものごとを観るようになって行きました。凹んだときにも、最悪だった三週間を思い出して「なんだこんなものまだまだ序の口だ」と思えた。そして、私は厚塗りに塗りを切り替え、新しく絵を作って行くことを始めます。

 

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■11

 これが当時厚塗りで描いたものの第一号でした。これに対して、先程のリプライをくれた方が、ツイッターでイイネを付けてくれました。本当に嬉しかった。それからは比較的前向きに絵を描き続けて今に至っています。

 

 今現在も、多くの友人知人に愚痴を聞いて貰ったり励まして頂く事で何とか自分を持たせていますが、あの当時に比べれば随分自分は明るくなったし、前向きになった。ひょうきんで良くしゃべるようにもなったと思います。それからは本当にいろんな嬉しい事が続いて、この二年間は本当に本当に幸福で、たまに辛い事があってもすぐに切り替えられて、いろんな人と関わって。自分のルーツにもたびたび触れました。

 まだ、話せないで居る事もいくつかあるのですが、それはまた気が向いた時に追って、信じられる人には話して行こうと思います。

 

 なんだかいきなりこんな話をして申し訳ない。語り始めると長いんですよね。

 

 とりあえず今後の展望もついでに考えてしまいますが、来年から仕事を探すことについては徐々に迷いも無く成って来ています。まずはバイトから始めて、徐々に体を慣らして行こうかなと。

 絵に関しては、今も描き続ければ描き続けた分だけ伸びる状態が続いているので、まあこのまま行けばいいのかなと思っています。正直、絵で食える状態に持って行くのはもうかなり難しい現状になりつつあるのですが、絵が私を救ってくれたのだと思うのでとにかく手放したくない。

 今年の残りと来年の年始は、しばらく「じゃあどういう形で絵を生かしていくか」を考える時期になるかと思います。またこちらでもダラダラ考察を垂れ流すかと思います、程々にお付き合い頂けると幸いです。

 

 ではまた次回。