イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

落書きメカ03

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■落書きメカ03

 

 こんにちは。今回もメカデザイン練習です。今までは外郭を意識したデザインをしてきましたが、今回からシリンダーなど、内部構造がある程度露出したデザインに挑戦しています。これもツイッターで見かけたメカ絵描き様の影響なのですが…。

 やはりというか、ぱっと見で「メカなんだな」と解るのはこうした駆動系や内部構造がある程度露出しているデザインなのだなと思います。現状まだ駆動系の理屈が解っていないので、もうしばらくはメカ練習ですね。

 

 

 さて、先日ようやく二度目の図書館に参りまして、原田マハ様の「#9」を借りてきて読んでおります。まだ半分も読み終えていませんが、気に成ったシーンを幾つか抜粋します。ネタバレも含みますのでご注意ください。

 

 原田マハ様の小説と言えば、描かれる鮮烈な美術描写と、其れに真摯に向き合う主人公たちのロマンスなのですが、今作もその二点が余すことなく展開されています。

 

 特に胸を打ったのが、今作の主人公である深澤真紅のあるシーンでの台詞。彼女は大学を卒業してから、流れでギャラリーの販売員の仕事に就くのですが、その仕事と言うのが絵をどれだけ売ったかというノルマ制の歩合給で、おまけに取り扱っている作品に、深澤は興味を示せないのです。

 それでもごまかしごまかし仕事をしていたある日、深澤はある紳士と出会います。あっという間に意気投合した二人なのですが、「(この作品を)お気に召して頂けましたか?」と恐る恐る聴いた深澤に対し、紳士は応えます。「あなたがこの作家の作品を、良い、と心から思っているならば、私はここにあるすべての作品を買います」深澤はつい言ってしまいます。「もちろん。最高の芸術作品です」紳士はその態度を崩さないまま、本当にすべての絵を買い取ろうとします。

 その寸での所で、深澤が叫ぶのです。「ここにあるのは、芸術作品なんかじゃない。ただのポスターです!」紳士は微笑みます。「きっとそう言ってくれると思っていました。ありがとう」

 

 なんだか、このシーンを読んだとき、自分が情けなくて涙が止まらなくなりました。

 

 

 常日頃、私は一体何のために絵に向かっているのでしょう。一時期、それは仕事を得る為、つまり金の為でした。今は、評価を得る為にそうしています。そんな中で、フォロワーと駆け引きをして評価を集めたり、出来る限り絵柄を売れ筋に寄せようとしたり。

 そんな事に何の意味があったのでしょうか。

 私が描いている物も、芸術作品どころか純粋な「絵」ですらなく、ただのポスターなのではないでしょうか。

 

 そんな気持ちは、常々持ち続けていたように思います。私が本当に描きたいもの、表現したい世界は別にある。それなのに、適正がどうとか、技術がどうとか、本当にみみっちい。描きたいものがあるのならそれを真摯に描けばいいではないか。何のために描きたくもない駄作を量産して貴重な時間を食いつぶしているんだ?

 その考えに至った時、しばらくぶりに憑きものを落とされた気がしました。

 

 どんな形態であれ、どんな評価をされているものであれ、良いものは良く悪いものは悪いのです。それが解る人間にならなければ、自身も永遠に良いものを作る事はできないのではないでしょうか。

 

 何か、大切な事を見落としていた気がしたのでした。

 私の表現の形態はあくまで「イラスト」であり、その絶対条件は「大衆性」です。その限り、今書いたような事は必ずしも正しくはないのでしょう。それでも私は、良いものが描きたい。

 

 そんな感じで、また次回。