イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「ストリート・オールドワン」と「有角族の舞子」

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■ストリート・オールドワン

 

 おはようございます。今日から通常のイラスト掲載に戻って行きます。今回の二枚もピンタレストの資料を基にしたもの。一枚目は民族衣装っぽいものを身に着けたヘッドフォン少女のイラストが元でした。

 現在の自分の絵に関して特に言える事は、装飾的な表現や衣服の文様などが苦手である事。あとは立体や空間の理解が弱い事ですね。今回の一枚目にもそれが顕著に表れており、資料の衣服の文様が再現できなかったために酷く簡素な出来になってしまっています。

 

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■有角族の舞子

 こちらは、ゲームのスクリーンショットだと思われる資料をベースに、衣装デザインなどに手を加えた物。人体、特に腰辺りの構造がおかしいですが、自分の絵柄をリアル系に寄せる試みと手数を減らす試みはまあまあ進行していますね。

 

 

 さて、ツイッターにて日々描いておりました次のデザインシリーズが一区切りし、次は何をコンセプトにデザインシリーズを練って行こうかと考えております。

 ただ、この五年ほど連続してデザインシリーズの試みを行ってきた結果、大体のアイディアは出尽くしており、特に目新しい要素を出していける見込みがない。先程述べた自分の弱点を考えれば、立体構造や装飾表現を鍛えられるようなコンセプトが望ましい。それを考えるとまたメカ練習などが良いのかなと思うのですが、果たしてそれを描いていて自分は楽しいのだろうか? また短いシリーズで終わってしまうのではないだろうか?

 そこまで考えて、延いては自分は絵を描いていて本当に楽しいのか? という所まで思考が及んでいます。

 

 昨日も書いたように、最近は絵を描く事が本当にしんどい。十年やれば大抵の事で権威に成れる、というような言説がありますが、私は絵を十年以上ほぼ毎日十時間以上ずつやったけど未だにこの有様です。向き不向きと言う物はどうしてもある。特に、ある一定以上まで伸びた後、それ以上突き抜けられるかは才能やセンス、要するに幼少期の環境が大きく作用する。

 私は幼い頃文学少年で、ゲームや漫画、アニメなどにはほとんど触れなかった。ゆえに、現在も文章方面に秀でている事が自分でもはっきり分かっているわけです。

 それでも絵を描いているのは、自分の平面的創造力が高い事が解っていたからで、絵を描き始めた当時はそれを武器にやって行けると思っていた。

 

 でも、現在のツールの進歩や絵描き全体のレベルの急激な向上により、もはや私程度の才能はより若く恵まれた才能にすぐに追い抜かれてしまう。

 まあなにかって言うと、昨日も書いたように自分のお絵描きの能力に限界を感じる訳です。毎日毎日、ツイッターで自分より若く優れた才能の絵描き様を見つけるたびに、今までの苦しみながらも描いてきた自分の自負が崩れていく思いがする。努力は簡単に人を裏切る。生物である以上、基礎能力や環境の違いに簡単には抗えない。

 

 すみません、また愚痴でした。ただ、なんだかつくづく、もう絵を描くのを辞めようかと思い始めている。今までも何度も辞めようとしたけれど、その度に「君は才能があるのにもったいない」「頑張ればもっと上手く成れるんだから続けて欲しい」という言葉に繋ぎとめられてきた。

 それでも、なんだかもう疲れました。だって数年前の自分のほうが全然良い絵を描いているんだもの。そしてその絵は人にほとんど褒められず、貶され続けたんだもの。自分が描く事に意味なんかないよなって思っちゃいますよね。

 

 恐らく今、中年期の男性の多くが陥るような燃え尽き症候群の時期に、自分も差し掛かっているのだろうと思います。だからこそ環境を変えるために色々動いているけれど、正直絵を描くこと自体は嫌いに成る一方で。どうすりゃいいんでしょうね。

 ではまた次回。