イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「古代樹の森」と「ヴァルキリー」

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■「古代樹の森」

 

 おはようございます。今日の一枚目も新作。モンスターを主題としたスケール感の大きい絵を描けないかと思って描いた一枚です。モンスターをどの程度画面に収めるか考えたのですが、頭部が入っていないとまず意味をなさないだろうことと巨大さを示唆するなら見切れていたほうが良いだろうとの判断でこんな感じに。その空いた空間に背景や妖精などの要素を組み合わせた結果になります。

 やりたい事はある程度出来たと思うのですが、妖精の大きさが曖昧であり、樹まで巨木としたために、比較してモンスターがどの程度大きいのかが判然としなくなってしまったのが反省点。妖精では無く鎧などを来た戦士を小さく配置すれば、モンスターも樹ももっと巨大さを示唆できたかもしれません。

 

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■「ヴァルキリー」

 身内には割かし好評だった一枚。これも新作です。恐らく赤と藍と黄の色合わせが上手く行った結果の評価だったのでしょうけれど、自分ではデザイン的、造型的な面で弱さが浮き彫りになった一枚になりました。鎧にももっと装飾を盛れたはずだし、翼のタッチも粗い。何より顔が上手く決まらなかった。手数だけは掛かってしまったために完成を焦ってしまった感があります。

 ただ、この一枚でオーバーレイを使った色彩加工に関してはある程度掴めた感があります。本来は塗りだけでそれなりに観れる画面を作る事が目標ですが、十分に力が付くまではレイヤースタイル程度は使って行こうかなと。

 

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■キャラデザイン落書き「森泳」

 二枚目にして早くもアイディアが出辛くなって来ました。既製品に依らないデザインと言うのはやはり悪手になり易く難しいですね…。

 

 さて、前回の記事に夕橙様から頂いたコメントで感じたのですけれど、自分がこれからやって行くに当たり、特に作り込みとスケール感、世界観を重視するなら、それを支えるものはやはり自分の精神性ではないかと思えてきました。りと様が先日以下のような記事を書かれていました。

ritostyle.hatenablog.com

 文中に、「表現としての質の向上を目指すなら”人にどう見られるか”という部分をある程度以上では切り捨てなければいけない」というような表記が見られるのですが、これが今の自分にもある程度当てはまるのではないかと思ったのですね。

 今まではむしろ周囲に迎合する事が自分に求められており、その部分が課題であると考えて来ましたが、そうして迎合する部分はそれとして、自分の中、そして自分の絵の中に「譲れない物」を持つ事は必要かもしれない。

 正直自分の絵に価値があるとは思ってきませんでしたし、今後も思えないでしょう。ただ見た目が綺麗であれば「綺麗だネ」と言う感想を言ってもらえる、という程度の、ごくそれだけのもの。ただ、そういった卑屈さ、自分に対して価値を認めない偏屈さが間違いであるのかもしれない。

 この問題は自分の中で根深いので、もう少し整理する時間が必要ですが、自分の価値=自分の絵の価値の一部、という等式が成り立つのではないかともやもやっと考えています。

 

 まあ、人それぞれ絵に対して無数の価値観がある中で、自分の価値観の確立というものをして行かなければいけないのかなと。

 そんな感じで、また次回。