イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

最近考えたことと自分の立て直し

 こんばんは。一週間半休みを頂いておりました。随分長い休みになってしまったのですが、その間たっぷり時間があったので、たくさん色んなことを考えました。その件と、先月から続いている不調の時の事を振り返った総括を今回してみようと思います。

 絵の事とは直接無関係な話が多いと思います。あと、とても凹んでいた時の思考なので、ネガティブで偏っております。許せる方のみどうぞ。

 

 そもそも、私は絵のことを文章で語るのはタブーだと思って今まで描いて来ました。絵は絵単体で完成・完結されているべきものであり、例えばそれを描いた苦労であるとか、そこに込めた思いであるとか、そんなものを言葉にしてしまうとその途端、絵を描くことではなくそれで人に認められる事が目的になってしまうものだ、と。

 この考え方は、以前もちらっと考察したように恐らく日本の風土と社会環境が育んだ思考なのでしょう。職人はその技術を習得する過程ではなくあくまで生み出した商品の出来によって評価されるべきものである、と。

 

 でも、私は実際それでは辛かった。だから今まで、特にネットだけでは自分の努力を半ば大げさに騙ってきた節があります。

 私の中には、矛盾する二つの感情がありました。「努力はするのが当然である」という思いと、「なぜ自分は声に出さなければ認められもしない努力を延々続けているのだろう」という疑問です。

 

 私は、恥ずかしい事ですが、ずっと自分がこの世界の主役であると思ってきました。最後には私の努力は何もかもが報われて、それまでの痛みも犠牲も全てが成功へと昇華される。めでたしめでたしで終われる。でも、二十八年も生きると分かって来ます。人間は死んだら何も残らない。例え一時名声や地位を得たとしても、それは死後それほど長く続くものではない。第一、名声や地位を甘受する自分と言う存在が無くなってしまうのだから、そんなものは全く意味がない。

 ある漫画にこんなセリフが出て来ました。

「俺は生まれた時から努力はして当然のものだと思って今まで生きてきた。それに疑問も持たんかった。その内、努力は自分の為のものっていうあのお決まりの文句に辿り付いてなあ…結局、俺は今より少しでもマシな自分ってやつになりたかっただけなんだろう」

 

 私は、小さい頃から結構な挫折を繰り返してきました。その時はただ純粋に、周りに出来ることが自分にだけは出来ない、その事実が悔しかった。まともになりたかった。周りに馬鹿にされない人間になりたかった。そのために必死で努力しました。その時の努力は、ただただ純粋で、ただただ自分の為だけのもの。

 そして私は、小学校高学年頃には周りに出来る以上のことを大体こなせるようになっていました。

 でも、周りが私に下した評価はこうです。「この子は天才だ。でも努力したことがない。努力すればもっと上に行けるはず」

 私は馬鹿でした。だから、その評価を頭から信じました。今も刷り込まれたその虚構を、虚構と知りながら信じ続けています。自分は天才だったのだ、だから努力さえすれば出来ない事はない。

 

 ずっと、それを支えにして生きて来ました。「自分は天才」。それが私の絶対のプライドであり、自信であり、唯一の評価。だから私は、自分の努力を一切人に語らなくなりました。周りは自分以上に信じ込む。「山田唄は天才である」。だからよけいに私の努力には目を向けなくなる。私はさらに隠れた努力をせざるを得なくなる。

 

 苦しかった。無意識のうちにずっと叫び続けていたのでしょう。私は凡人だ。私は普通だ。私がなりたかったのは天才じゃ無い、ただの普通の人間なんだ。

 そんなときに、私は病気になりました。突然すべてが閉ざされて、今までの努力ですらすべてが無駄になり、私は天才でも、普通の人間ですらない、ただの「社会的弱者」になりました。以前も少し語りましたが、そんな時に出会ったのが絵でした。私にはもうそれしか無く、ただただ必死で打ち込みました。でも、絵にのめり込めばのめり込むほど、努力すれば努力するほど、それで評価を得れば得るほど体も心も削れていく。

 私は絵の世界でも「天才」を目指そうとしていたのでしょう。だから、どんな評価を得ても一切満足出来ず、また周りも自分を満足させておいてはくれなかった。病気で失った自信を取り戻すために掴んだものですら、私をまた同じ世界に引き戻すものでしかなかった。

 

 私は、賭けをしていました。「絵で世界一になる。それができなければ、自分は天才では無かったと認められる。その時は、すべての努力を辞めて”社会的弱者”になろう」

 そして、その賭けに敗けました。私が目標にした絵描き達は、次々と絵を辞めるかどんどん上に登って行く。追いつけない。最近までそれを認めずに頑張って来ましたが、先日ついに糸が切れました。最近ずっと、絵を描く時に頭の中で繰り返し続けていました。「私は頑張ってる」「頑張っても認められない」「この世界は努力が認められる世界ではない」「なら、私が今まで信じて来たものは一体なんだったのか?」

 

 そして、徐々に力が出なくなって行った。それが先月から続いている不調と、数年前から断続的に襲ってくる無気力の正体であったようです。

 この一週間半、何もする気になれませんでした。一昨日までは外に出る気にもならなかった。ずっと、なぜこうなってしまったのか、私は何のために産まれたのか、そんなことばかりをぐるぐると考え、誇大妄想にまで至り、緩やかに壊れて行こうとしていました。ただ、自分が天才でないということははっきり分かった。だから絵を描かなくても不思議と心は穏やかでした。きっと全てを諦める心境になっていたのでしょう。だから、ふいに気が向いて、漫画の新刊を買うために書店に出向いてみました。ごっそり買い込んで、その日のうちに全て読み切りました。

 その漫画の主人公たちに、久しぶりに自分を重ねました。まっすぐさだけが取柄で、何も持たなかった彼らが、成長してより大きな敵に立ち向かっていく。しかしそこには当然挫折があり、敗北があり、それでも彼らは折れない。立ち上がる。

 

 私は、一週間半ぶりに感動していました。そんな主人公たちを、少年少女に見せる為に描き続ける漫画家という大人達に。彼らは、なぜ希望を語り続けられるのか。絶望を知らないはずが無い。挫折を知らないはずが無い。努力をしても報われなかった経験なんて、きっと私よりひどく多いはず。なぜそんな虚しさを、こんなに綺麗な物語に変えることが出来るのか。なぜ「努力は報われる」と語り続けることが出来るのか。

 

 その時に、小さい頃に抱いた気持ちを、少しだけ思い出したんです。私は、「すごい」と言われたかった。それだけ。たったそれだけから始まったんだった。そして、その言葉が嬉しくて、努力し続けようと決めたんだった。それだけだ。

 そして、思いました。彼ら、希望を与えられる漫画家という人種は、きっと私よりも「すごい」のだと。彼らもすごいものを作りたくてその物語を紡ぎ、そしてそれは子どもだった私たちに信じさせた。この世界はきっと希望に満ちていると。

 なんだか、それで何もかもが拓けたような気に成りました。「すごい」ことは「天才」ではない。でも、「努力した」と褒められるわけでもないんだろう。ただただ彼らは、人の心に火を灯す。人の心を動かす。私がなりたかった人間も、きっとそういう人種だったんだ。

 

 卑怯、だと思います。人間は自分の気持ちしか見えません。だから自分の価値を他人の気持ちに依存するのは、ただの逃げです。でも、なんだかそうやって世界は回っているのかなと、そんな気になりました。皆が皆、一人では生きていけない。誰かに希望を灯して、誰かに希望を灯してもらって、それでようやく生きていける。自分は独りではないと信じられる。そういえば、私が昔から愛した物語は、皆そんなことを私たちに教えようとしていたんだな、と。

 

 結局、私は件の賭けに敗けたままです。もう自分が天才だとは思わない。まさか一週間そこそこですべての気持ちにけじめをつけられるわけではありませんけれど、「天才などいない」ということがようやくおぼろげに分かり始めてきた。それは、言いかえれば誰にでも天才を目指す資格、資質があるということ。でも、皆天才を目指して努力しているわけではない。なにか為したいことがあるのだ。人を動かす、例えばそんな事を目標に、努力の為に努力しているわけではなく、ただ自分にとって「すごい」自分であり続ける為に努力しているんだろう。

 だから、私が目指すのは、「上手い」絵では無かった。誰かに何かを与えられる絵だ。別にそれが、希望じゃなく、絶望であったり、ただ一時の満足感や爽快感でも構わない。そして、それをするために最低限必要なのが「上手さ」だ。才能も、努力も、能力も、すべては手段だ。なにかを為すためにそれを使う。大切なのは何かを為せるかではなく、なにを為すかなんだ。

 

 まあつまらない答えですが、自分の気持ちを率直に表すとそんな所です。

 

 …ふう。すげー恥ずかしい。何言ってんだ俺。十割勢いなので本当に粗削りです。まあでも、これを語ったことでまた少しすっきりしたので、この記事はそのまま投稿しましょうか。

 答えなんてものは、一時自分を支えてくれるにすぎない物です。結局、自分はまだみっともなく悩み続けて、そうしなければ前へは進めないんでしょう。まあそれでも、今は絵の世界に戻ってこられたことに、少しだけ感謝と希望を感じます。

 頑張ってやりましょうか。

 

 最後に、先日から描いているコンテスト絵の経過だけ載せて締めてみます。

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 前回から装飾を増やし、若干塗り込んでみました。ブランクが空いてしまったのでまたしばらく勘を取り戻すために他の絵を描こうと思っております。

 では、今回はこの辺りで。いつも以上に自己満足で長い記事になったことをお詫びいたします。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。また次回。