イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「イグナイト・イグナイト」

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■イグナイト・イグナイト

 こんにちは。今日の一枚は景観に振ったもの。「雨に濡れそぼる街」という題材を自分なりに解釈して消化したものになります。ある程度描けてはいるかなと。

 特に今回、ベースカラーを基にカラーリングを詰めるという配色が上手く機能し、雨天時の鬱蒼とした空気感が程よく出ました。反省点としては傘の構造で、中の骨の描写が不十分ですね。ここは資料を使って詰めればよかったなと思われる部分。

 

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■落書き

 

 さて、最近追いかけていた漫画のいくつかが、作者側の環境や心境の変化によりパワーダウンし始めている、という現場に幾つか遭遇し、傑作を作る、特に作り続けるという事の難しさを改めて感じています。

 

 そもそも「傑作」というものは、環境、心理、才能、努力、時代など、あらゆる条件が奇跡的にかみ合ったときに生まれる結果物であり、決して誕生を約束されているものではない。傑作を継続的に生み出せる作家もわずかな数いますが、あくまでも彼らは選ばれた人間であり、多くの創作家はそれら複数の条件がたまたまかみ合うのを、ただ作り続けて待つしかないという状態で居る事がほとんどかなと思います。

 傑作を自らの意思で生み出せる人間がなぜ生まれるのか、という問いについては、彼らが集中時「ゾーン」に入ることが出来るという裏付けが取れると思っております。

 

 「好き」と「才能」と「集中状態」が重なったときしばしば訪れる「ゾーン」は、イタコの憑依状態に近い忘我の境地と言えます。いうなれば限定的に自身の地力を超えた、神がかり的な力を発揮できるのがゾーンであり、そして稀有な才能を持ち得た人間にはこのゾーンにルーティンをこなす事で意図的に入ることが可能な人間が割といる。

 ゾーン状態に入ると、感覚が研ぎ澄まされ、思考は澄み、体の隅々までが自分の思うように動くほどの全能感を得られます。その状態の創作家が作るモノとは、いわば天に授けられた「降ってきた」ものである。

 

 ゾーン状態自体は多くの人が経験する、さほど珍しくないモノなのですが、これに繰り返し入ることが出来る人間は全体から見るとわずかです。

 偶に、作品から感じる熱量が異常に高い、凡そ人間を逸脱しているとしか思えない作品を作る作家がいますが、彼らはゾーンに日常的に入ることでそれらを生み出しているのだと思います。

 天才、と呼ばれる人間と大多数の凡人の間で、異常に力の開きが出るのも、おそらくはこのゾーンに入ることが出来るか否か、という差なのでしょう。

 

 私は物事を極める際、才能が不可欠であると思っており、例えそれがなくてもある程度のところまで努力で到達することは可能だと思っています、が、突き抜けるためには特別な才能が必要であると思っています。

 しかし才能がある人間は得てして自身の能力を自覚していないので、才能など要らない、自分は努力だけでここまで到達したのだ、と言う。努力が才能を伸ばす前提であるのは疑いようもないのですが、しかして努力だけでは到達できない場所がある。

 世の中は不公平ですね。

 

 ではまた次回。