イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「招き猫、”深緑”」

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■招き猫、「深緑」

 こんばんは。今日の一枚もシリーズものの続き。今回は招き猫モチーフとしてみました。多少なり面白いものとなっている気はしますが、今回も練り込み不足と言えるかなと。ポージングとして猫らしい伸びやかな体制に右手を招くという形を意図したのですが、その意図がどうも不完全であり、よくわからないものになってしまった感。

 キャラデザとしても、招き猫の招く腕を肥大化させ、右目を小判モチーフの眼帯で隠している、くらいまで練り込んで出してはみたものの、大分中途半端なデザインになったように思います。

 前回、今回と続いて、構想の不十分さが際立つ二枚でしたね。コンセプト時点である程度しっかり考えてから出せば良いモノになるのは解っているので、構想の手間を厭わないようにちゃんと取り組みたい所。このシリーズはとりあえずここで完結とします。

 

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■落書き

 

 さて、本日も恒例の徹夜で作業しております。数時間で良いので仮眠をとれるとこの後の展開がかなり楽になると思うので、あとで目を閉じて横になる練習をするつもり。

 

 この所、特にツイッターの評価というものからある程度意識が離れており、かなり楽に絵を描いてきたのですけれど、昨日になって「このままでいいのかな」と思い始めました。

 そもそも私がツイッターのイイネやフォロワー数を欲していたのは、単に承認欲求を満たしたいという思いからである以上に、「有名になって界隈で発言力を持ちたい」という気持ちからでした。昔から反骨精神の強い人間だったので、大体が権力者のやる事に異を唱えたい気持ちに度々なるのですけれど、結局権力者にたてつきたいのならば、自分も同程度以上の権力を持つしかないという事が解っていたのですよね。

 

 昔からよく言われることです、「正義を行いたいならばそれに足る力が要る」。

 私は私の思う正義を行うために、自分を正当化出来るだけの権力を欲していた。だからツイッターなどでフォロワー数を稼ごうと思い立ったのだったなと、久方ぶりに思い出しました。この一年間ほどは評価を得る事そのものが目的となり果てていて、随分病んでいたなと思いますが、本来私にとって「評価」とは目的ではなく手段なんです。

 自分の主張を正しく浸透させるための、手段。

 

 結局、権力がない人間があれこれ語ったところで、「路傍の石くれが大口叩いておる」くらいの認識しかされない。この世界では、何をするにもまず力が要る。正しい事を正しく主張することにすら、一定の権力が要るのだ。だから私は力を欲していたんだった。

 

 

 それを思い出して、やはり自分は権力を得るためにある程度苦しまなくてはいけないなと思いました。絵は今や、自分にとって何かの道具として消耗して良いほど軽いものではなくなっているけれど、それとは別に現在の社会でのある程度の権力を追い求める姿勢は自分の原点とすべきものだなと。

 力が足りないばかりに守れなかったものが多かった。その悔しさを忘れたくない。

 

 多少、頭を使ってフォロワー数を稼ぐ方法を考え直していきますかね。

 

 ではまた次回。