イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「クレイモア=エリス」

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クレイモア=エリス

 こんにちは。未掲載イラストのストックの関係で今日から一枚ずつの掲載になります。今日の一枚も大体今までの反復のキャラクターに加え、ある程度背景を精査したもの。それなりのものになっている気はしますね。細々とした部分の処理についても適切ですし、全体を見てもきれいに緩急がついているように思います。

 しかし、それ「だけ」ですね。依然技術を誇示するだけのものにしかなっておらず、絵そのものに大きく欠けている部分が埋まっていません。結果、これを見ても「そこそこ巧いね、それで?」という感想しか抱けない。

 圧倒的技術でねじ伏せる技量か、絵の「深み」か、どちらかを手に入れる必要があるでしょうね。

 

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■落書き

 

 さて、先にも書いたように、私の絵には構想を醸造させることで生まれる深みが足りないわけですが、巧い人がさほど構想にも描画にも手間をかけずに描いた落書きはそれなりのものに見えるわけです。

 技術の差はもちろんあるわけですが、それ以上に両者の間で決定的なのは「センス」の差ではないかという気がしてきました。

 

 センスとは、あらゆる物事に介在する先天的な向き不向きの差ですが、その実質的な正体は「視点」なのではないかと思います。

 人はみな同じ世界に生きているようで、個々人で少しずつ見ている世界に差がある。それが視点、センスの差です。例えばいつもの道を普通に歩いていても、軒を連ねる商店に目が行く人もいれば、すれ違う人に意識を奪われる人もいる。あるいは空ばかり見ている人もいるし、電線や看板などの何気ないアーティファクトに注目する人もいるでしょう。

 それら視点の差が、物事に向かう際に「何を意識するか」の差となって現れ、結果その物事に対する上達の差となって現れる。

 

 これは先天的なものが大きいように思えますが、実際には後天的にも意識して補正可能なものです。絵を描いていて線の美しさに目を奪われるあまり色の練度が低いのであれば、色に注目するよう自分を仕向けてやればいいわけですから。

 この視点の深さと方向性の修正によって育まれるのが「目の解像度」と呼ばれる要素なのですね。

 

 要は、私の絵に欠けているのも主に視点の深さなのではないかと思うわけです。ぱっと見の絵の構成要素にとらわれるあまり、絵を深読み出来ていないのではないかと。絵を短時間で「読み解く」能力をつけるのが良いのかもしれません。

 ちょっとその為のトレーニング法を考えてみます。

 

 ではまた次回。