イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「メルト・サムダウン」

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■メルト・サムダウン

 こんにちは。今回の一枚は、先日書いた経過製作の一枚目。天使の巨像が立ち並ぶ廃都市、というコンセプトで製作しました。

 かっちり資料を集めて詰めた手前のバイクなどはそれなりなのですが、やはり想像だけで描いた背景群が極端に弱く見える感。正直まだ資料を集めると言う事に積極的に成れないのですが、打破せねばなと思う所です。

 


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■落書き

 

 さて、昨晩は深夜に起き出しての作業でした。その間、暇を見てツイッターでちらほらリプのやり取りをしていたのですが、その中でどうも自分と相手の方の意見が食い違う場面が目立ちました。

 煎じ詰めてみるとその食い違いの根本にあるのは、私が絵に対して絵画・モダンアート的な考え方をしているのに対し、相手の方がデザイン・商業アート的な考えをされている事にあったようで。

 

 私は昔からそうやって、絵を絵画的な考え方で描いてきた節があります。本格的に美術を学んできた方から見ると私も全然商業アート寄りに見えるらしいのですが、商業アートの世界の方からは絵画扱いされる。割と表現形態としてはイラストという形を取りながら、考え方は絵画、という言い方が近いでしょうか。

 そんなわけで私は、均質的なクオリティであるとか、クライアントに寄与する精神であるとか言う物よりは、再現性の無い今現在の感性を表現する事、を重視してきました。まあだから商業アートの世界ではつまはじきにされてきたのでしょうね。

 

 

 しかし、私の予想だとこれからの時代、商業アートとモダンアートの境は無くなると思っております。

 そもそもが企業の力が失墜している最中であり、これからの働き方の中心になるのはフリーランスという方法論である事が予想される。つまり、これからの創作界はそれらフリーランスと、彼らがその時々で形成する即席ブティック型チームが盛り上げていく事になるのではないか、と。

 既に新海誠監督などがそうしたチームの在り方でアニメを制作されていますが、これがゲーム、音楽、実写映画、などなど、あらゆる表現媒体に派生するのではないかと思っています。その時、企業は各フリーランスを繋ぐ橋渡し的な立場に留まるのではと思っており、結果「真面目に働いていれば会社が守ってくれる」という考え方は通用しなくなる。

 自分の力量と職能が仕事を取ってこれるか、というよりもその仕事に参画できるかを決定づける為、クオリティよりは特色、個性が重視されるようになるのではと思っています。大体にしてクリエイターの職能を持つ人間が溢れかえっているので、没個性なクリエイターは直埋もれていくでしょう。

 

 

 という話を割と昔から考えておりまして、折に触れて友人やツイッターにて語っているのですが、どうも理解されません。これだけはっきりとしたビジョンが見えているのにそれを共有できないと言うストレスが結構凄まじくてですね…。イラストも絵画に倣って、個性と作品としての深みを重視すべき局面に差し掛かっていると思っている訳ですが、それすらも理解されない。苛々が募ります。

 

 まあ、私くらい明確なビジョンを持って生きている人がまず少ないのでしょうね。もう言ってしまいますが、最近周囲の人間の能力の低さに絶えず苛々しています。自分と対等に語り合える程の人間がまーあ少ない。昨日書いた私に度々託宣を下さるフォロワー様などは、話していると非常に考えの通りが良くて気持ち良いのですが、ほとんどの人との会話中大体ストレスを抱えています。

 奢っているのを承知で言えば、自分と対等以上の人間がほとんどいないくらい能力が高く生まれてしまった。そのせいで酷く孤独ですね。

 

 

 仕方ないとは思います、世の中大多数の人間は私より能力が低く、またそれだけに多数派に合わせて作られた世界は私にとって生き辛い。特に日本と言う国は横のつながりを重視するお友達ごっこの好きな民族性があり、その因習が絶えず私の足をひっぱります。

 こうなったら本当に、いつか日本を出るのが良いのかもしれません。この国に居たら私は幸せに成れない気がする。

 

 ではまた次回。