イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「払跳止」

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■払跳止

 こんばんは。今日の一枚は、アンドロイド同士の抜刀の瞬間を切り取った物です。これは厳密に言えば若干出来が落ちました。

 まず、立体の追い方が非常に粗末な物となっており、光源からの距離感による形態感が全く出せていません。加えて、部分ごとに見た時の立体感もまずい物となっており、この所惰性的に似たような絵を繰り返し描いてきた事による衰えを感じましたね。

 キャラの動きやコンセプトそのものは比較的いいものになっているのですが、絵に対する意識が随分荒んでいるようです。

 

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■落書き

 

 さて、そんなわけで、今日も夜中に起き出してぼちぼち作業などしていたのですが、どうもまた自分の絵が野暮ったく見え始め「アレ?」と思いつつその原因などを突き詰めていた所、その違和感は「俺は一生懸命描きました」という言い訳めいた思想に一因があるのではという気がしてきました。

 

 私は常々、自分は良い物を作っていると思って絵を発表してきました。しかし、内々「自分の絵がそんなに評価されるわけがない」という言い訳をして、それを保険に本当に評価されていないという事実から身を守ってきた。

 「どうせ自分はこれくらいだ」という意識。それが絵に妥協と弛みを生み、技術やアイディアとして十分に優れているにも関わらず、「弱い絵」を生み続けてしまった。早い話、負け犬根性が染み付いている訳です。

 

 本当に自分で良いと思えない絵を、他人が良いと思ってくれるわけがない。

 私はもっと、絵に自信と責任を持つべきなのでしょう。

 

 そんな事をもやもやと考え、なるほど覚悟が足りないんだな、と思いました。思えば私は、絵が自分の全てだとうそぶきながらも、どこかで常に自分を冷静に評価しているふりをして保険にして来たなと。なんて卑怯なのか。

 私は本当に自分をなげうつほど必死になった事があったでしょうか。きっと、無かった。いつも一歩引いたところから自分を眺め、程々の所で満足しているんだ自分はと言い聞かせて、本気でやっているつもりになって。

 その実、本気になれない自分をどこかで自覚していた。

 

 今は深夜作業明けなのでこの辺にしておこうと思いますが、本当に変わりたければ、きっとこの自分をなんとかする所から入らなければいけないのでしょう。私には圧倒的に「現実に立ち向かう」という意識が足りない。

 

 ではまた次回。