イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「刀玄致彩」

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■刀玄致彩

 こんばんは。今日の一枚はいつも通りのドローイング、且今まで何度となく描いてきた題材の物です。

 何度も描いてきただけに絵としては醸造且深堀し尽くされており、非常に安定した出来と言えますが、もう鮮度はほぼ無いですね。描いていても意義を見いだせず、新しい要素を見つける事も出来ずに最後まで描き切ってしまいました。

 この方向性ももう少しエスキースで深堀してやる事は出来ると思いますし、そこから新たな意味を見いだせる可能性もあるので、やはりしばらくは掘り込みを重視して行きたい所です。

 

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■落書き

 

 さて、最近こちらでお世話になっている絵描き様が、ブログにて興味深い内容について話されていました。

 

nekohermit.hatenablog.com

 

 それほど長い内容ではなく、且網羅的に丁寧にご説明されているので今現在絵に悩んでいる方は特に直接記事をご覧になって頂きたいのですが、掻い摘むと「絵の評価をイコール自分の評価としてしまうと否定的な言葉に敏感になり過ぎて結果絵の上達を損なうよ」といったようなお話でした。

 

 私もかねがね絵の上達を志して来た為に、この問題には幾度もぶち当たった事があり、また今現在もどうもまたその沼にハマりかけていたかもしれないなと思わされました。

 文中でも述べられているのですが、絵の評価=自分の人格の評価と思い込んでしまうと、それは途端に鋭い刃となって己を切り刻むものです。没頭し埋没して描くと言う事は、時に自分を救ってくれることもありますが多くの場合はただ自分を追い詰めるだけの物になり勝ちです。

 我々絵描きに求められるものは、第一に自分や自分の絵を俯瞰し客観的に見つめられる鳥瞰的な視座なのでしょう。

 

 お断りなく言及させて頂き失礼致しました。

 

 

 さて、既に冗長なのですが、もう一件書いておきたい話があります。

 先日ツイッターで「美術の漫画としてとても優れている」といったような評価を目にした「左ききのエレン」という漫画を買ってきて読んだのですね。

 

 軽くネタバレも交えてあらすじをご説明しますと、この漫画は圧倒的な才能を持つ絵描きである「エレン」と、対して凡人であり、天才であるエレンに勝手にライバル心を持ち、憧れ続けてきた「光一」の二人の主人公を軸に進んでいく物語です。

 彼らの思い出は高校時代にさかのぼり、また光一の現在の時間軸である広告代理店の社員としての仕事と代わる代わる、その時間軸の前後した物語が語られます。

 

 圧倒的才能を持ちながら、画家でありしかし大した活躍も出来ずに死んでいった父親の影を背負い、自らの「描きたい」という欲求と己に降りかかる周囲の期待に苦しめられるエレン。

 片や、憧れだけでデザイナーを目指し、自分は天才だと信じて疑わなかった過去から、エレンの作品に触れて急速に変わって行く凡人、光一。

 

 正直読んでいて非常に辛くなります。光一の人物像がまた、典型的な「世間を解っていない」勘違い野郎であり、また対するエレンも周囲を固める脇役たちも、決して人間が出来ている人物ではない。それら思惑も才能もそれぞれの人物達が、それぞれ抱えてきた傷と希望をぼこぼこと歪に積み重ねていくのが今作です。

 

 

 読んでいて、思いました。私は結局凡人であるのだろうと。

 作中、「美大に通う人間が日本に一万人、受験する人間が十万人いるとして、お前はトップレベルのアーティストを何人上げられる? 十人くらいだろう。万に一つ。それが現実なんだよ」みたいな台詞が出てきます。

 それを読み、つくづく思う訳です、私は結局トップレベルには到底届かない。これから描き続けても、箸にも掛からないかもしれない。そう言う自分の努力はただ泥臭くみっともないもので、死ぬまで意味をなさないかもしれない。

 

 やってみなければ解らない、という言葉はかなりの割合で真実だろうと思います。しかし、トップに及ぶような天才たちは幼いころからその頭角を見せているというのもまた事実の一面である。

 私は「やる意味のない努力」を、ただ自己満足で続けているに過ぎないのではないか。

 

 

 まだこの件に関する答えは出ません。今この漫画に出会った事にも、恐らく何か意味があるのでしょう。まだ三巻までしか読んでいないので、答えを求めてもうしばしこの作品を追い続けて行こうと思います。

 

 ではまた次回。