創作世界観構想、「刀鬼」
こんばんは。今夜は徹夜で作業しております。徹夜の時と言うのは体が冷えるものだそうで、私は内側から温めてエンジンを掛けるために夜食をガッツリ摂ります。胃腸に対する配慮としては零点ですが、もうずいぶんそのサイクルでやっておりますので、そのほうが調子が上がりますね。今夜の夜食はサンドイッチです。
今日はちょっとした創作の体験談から始まり、前回予告したように創作の世界観と設定を載せてさせて頂きます。
体験談というか、自分が今実感していることになるのですが、絵はやはり「人に見せてこそ」のものだと思います。私が絵を描き始めた当初からちょくちょく云われていたのは、「絵って表現なんだよ」と言うこと。
私にとって、当時絵とは紙に憂さをたたきつける意味合いが大きく、表現なんて崇高なものじゃない、と思っていたのが本当の所です。
でも、だからこそ尚更それを「人に見てもらうもの」にすることが大切だったのだなと最近強く思います。
ツイッターで、とある漫画の一ページが回って来ました。そこに登場する絵描きの娘が、父親の描いた絵にバッシングをした評論家に腹を立てています。その娘に対して、父。
「彼は僕の絵を批判する権利がある。でもボクも彼の批判に腹を立てる権利がある。彼は批判して、ボクは腹を立てた。それでお終い!」
ここのところをよく理解しているかどうかで、その人にとっての創作活動の意味は大きく変わってくるのではないでしょうか。
はっきり言って、私は自分の絵にバッシングがあるとその度腹を立ててしまいます。それは当然のこと。自分の生み出したものなのです、馬鹿にされたり批判されたりすれば、自分を否定された気にもなる。海外のピクサーなどの企業ではここの教育が徹底されていて、批判するときも作者の人格を傷付けない配慮をし、作者も人格を傷付けられたとは思わないですねずに受け止めるよう、常々言い聞かされていると言います。
でも、そんな理屈は海外だから通用するものかなとも思います。元来職人気質の強い日本では、仕事にも自分のしたことにも責任を持つよう一貫して教えられてきました。その気質が質の良い仕事を生み出す側面もあると思うのですよね。
何より、真面目にやった人にはその人にしか生み出せないものが必ず手に入ると思います。
では、どうしても批判や批評に腹が立ってどうしようもない時どうすれば良いのか。結構単純な話で、自分で自分を褒めて上げられれば良いんだと思うんです。
批判されたの評価されないのという不満は、須らく自分の仕事や創作に対する自信の無さからくるものです。
とは言え、自分で自分を褒められないのもまた日本人の性かもしれません。そんなことを思うにつけ、最近私は「必ず自分の作品を観て、褒めてくれる人」が居れば楽になれるのだということに気付きました。
必ず褒めてくれる。それは作品を本当に観てくれていないのではないか、という思いがするかもしれません。しかし、批判してくれる人が本当に作品を観ていると必ずしも言えるのでしょうか。
あなたの作品をさらっと流し観ただけで努力も実力も足りないと決めつけて、さも自分のほうが良いものが作れるという体で批判してきているのかもしれない。また、私達が普段仲間に対して行う批評というものもそう言った聞く価値の無いものになっている可能性も否定できないのです。
だからこそ、批判に対してみっともなく腹を立ててもイイ。ただ、腹を立てるならそれは作品で見返すべきです。その見返すための作品を作るまでの原動力として、あなたの味方であり続けてくれる人を見つけなさい。
私も、通信制の高校に通っていた二年ほどの間、美術の担当教諭様に自分の描いた絵をよく見せに行きました。毎回、「線で捉える練習をしたほうが良いね。デッサンとか…」と口やかましく言われたものの、何度も「イイネ。凄く良いと思うよ」と言って貰えて、当時それが自分の描く原動力になりました。
甘えとか義務とかの問題では無く、人間って楽しいこと以外は続きません。どこに楽しみを見出すか、ではないでしょうか。
本当に上手くなる人というのは、評価に左右されず自分の画力を高めることに楽しみを見いだせるのかもしれませんけれど、それはやはり特殊な事例です。基本的にはどうしても絵は「表現」。表現には受け手が必要だと思うんですね。演劇などでも、一つの演目が終わるごとに幕を引くでしょう。それが一つのリズムと契機になりますし、必ず拍手を貰えると思うから頑張れるものだと思います。
だからこそ、あなたも他人の作品を観た時は、拍手を惜しまないで欲しいと思うのですね。それは、演じきってくれた俳優に対する礼儀だと思います。礼儀と礼節。そういう形の中で創作を育むことが、日本と言う国では適しているのではないかななんて思います。
さて、そんな前置きからの創作のお話参りましょうか。拍手お待ちしております。(うわー…。
――仮想二十一世紀。世界は人口の爆発による食糧難を迎えていました。各国首脳は秘密裏に会合を重ね、一つの最悪の結論を導き出します。
「人民に武力によって物資を奪い合わせ、食糧難、物資不足、人口問題を一気に解決する」
これは仮想華僑を制圧した武闘派反体制組織、「十刀楼」と、文明の名残の物語です。
はい、この物語は、前回お話した葉月たちの世界の未来のお話になります。
さっそくキャラ紹介行ってみましょう。
■灰の宮
十刀楼の十人の統領「刀宮」の一人になります。覚えている方は覚えて下さっているかもしれない、以前キャラデザインのサンプルとして載せたこいつ↓ですね。
この人物は性別も年齢も不詳の刀宮で、法政を司る第一課を束ねています。戦闘センスは高いものの、争いは好まない飄々とした性格、と言う設定。
■灰鬼
彼は第一課で灰の宮の補佐に当っている剣士です。十刀楼と言う組織はその名の通り、構成員全員が刀を振るう武闘派組織なのですが、そんな中でも灰鬼は極端な非暴力論者であり、灰の宮よりも更に戦いを嫌う性格です。
この二人の関係と、灰鬼の過去を軸に物語は展開して行きます。灰の宮は権力も武力も持ち合わせていながら、十刀楼一課刀宮という肩書に縛られて自由には動けない。そのため、新たな価値観をもった灰鬼を一課に引き入れ、わざと自分の傍に置いています。
ここからは刀宮一挙紹介。
■秤の宮
第二課(宰領課)の刀宮。皆のお母さん的存在です。
■舘の宮
第三課(事務課)の刀宮。戦略のエキスパートで、十刀楼を束ねる若頭です。インテリ。
■翼の宮
若くして刀宮を任された第四課(庶務課)の統領。まだ幼さの残る若者で、遊撃的な戦い方を得意としています。
■暴の宮
第五課(実行部隊)の刀宮。粗暴で暴れ出すと手が付けられません。この課の人材はみんな暴れん坊です。
■角の宮
第六課(文部課)の刀宮。刀宮の中ではおじいちゃんで、その知識でもって新人育成と教育を行っています。
■麗の宮
第七課(秘書課)の刀宮。美貌と流麗な剣術が武器です。ちょっと高飛車な人ですね。
■菅の宮
第八課(警邏)の刀宮。生真面目な性格で、警察の役割を持つ警邏隊を率いています。
■牧の宮
第九課(神教部)の牧師を務める刀宮です。十刀楼の崇める神は、最初にこの組織を設立したと言われる最古の刀宮です。なので、宗教があっても戦闘は可となっています。
■巫の宮
第十課(特務課)の刀宮。特務課の主な仕事は、聖遺物の管理であり、彼女自身が巫女の身分です。
■零の宮
最初に十刀楼を設立したと言われる死せる伝説。一説には不死身であり現在も生きていると言われています。
ここからは十刀楼関係者のデザインを一挙公開です。説明は省いて行きますよ。
ここまでです。長かったですね、お疲れ様でした。
こんな感じで、とにかくデザイン案だけは無限に練ってあります。
これらは去年の中旬ごろ描き溜めたものなのですが、今見るともう至らないところのある立ち絵とデザインなので、やはり今年中に全員リデザインしてやりたい所です。これでも地味に第二稿でございまして、彼らには全員前身となる第一稿のデザイン案も存在したりします。キャラを描くことに関してストレスを感じない人間なもので、こういった立ち絵だけなら無限に描き続けることが出来るのですよね。
いつか、改稿した第三稿をお目に掛けられればと思います。
では、また次回。