イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「この広い夜に独り」

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■この広い夜に独り

 こんにちは。今日の一枚は引き続き景観を重視したもの。以前も一度扱ったことのある「歩道橋」という題材を主役に据えて再編成したものです。大分意図が明確に決まったという事で、近作の中でも抜きんでて完成度の高い一枚になったかなと。

 難を言うならばやはり「落ち影」で、人物の下に落ちる影は描けているものの信号機や横断幕の影の描写がなく、それが全体を平面的に見せているように思います。あと、歩道橋の手すりにパースを突けた結果、それが顕著に狂ってしまい、部分的にマズく見える感。

 

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■落書き

 

 さて、この所割とルーティンでキャラデザインを考えていたという事で、もう大分安定するようになってきたと思うのでそろそろ次の方策を講じたいと思っております。差し当たって、下の絵描き様のエッセンスを盗み取ってみようかなと。

 

 

 私の描くメカのような四肢の描写の弱点として、外形がほぼほぼボディラインに沿っておりシルエットで変化がつけられない点がありました。そこで、四肢、ないし外付けのメカを設定する際にある程度シルエットを重視してデザインを考える癖をつけていこうかなと。メカのシルエットだけでも特徴を出せるくらいのキャラデザに寄せていこうと思っております。

 

 ようやく元気が出てきました。しばらくはまた淡々と積んでいこうと思います。

 

 ではまた次回。

「鉄鋼天使」

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■鉄鋼天使

 こんばんは。今日の一枚はまた若干久しぶりにキャラを見せる構成に振ったもの。鋼鉄の翼をもつ天使、くらいの構想から詰めました。

 背景もある程度世界観を示唆する程度には入れておこうと、鉄筋の建造物を描き入れたのですが、これに関しては大部分がキャラに隠れてしまい意義としては薄かったなと思いますね。よく言われることですが、キャラに背景という形で景観を差し入れるイラストと、背景主体の「風景画」とは、そもそもイラスト製作の際の考え方や意図そのものが違ってくるものだと思います。キャラを見せるならばキャラが映えるように、背景を見せるならばキャラはある程度埋没させる。そこの割り切りをしっかりやっていく方がいい絵になるのでしょう。

 今回はキャラの描写としては比較的良いモノになったかなと思います。特に鋼鉄の翼部分の立体感(ライティング)は割と気持ちよく決まったかなと。あとは人物や翼相互の関係性を整理するために、先日アドバイス頂いた「落ち影」を入れると多少分かり良くなったかなという所です。

 

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■落書き

 

 さて、今日はいつも通り休養明けの徹夜です。

 昨日の時点でぶっちゃけ大分精神をやられており、「もうこのまま絵をしばらく休むかやめてしまうか」などといった考えが頭をよぎったりもしたんですが、そのようなとき、ツイッターで評判を呼んでいるこの漫画を読みました。

 

 

 

 ジャンプで「チェンソーマン」を連載していた藤本タツキ様の読み切りらしく、今回はこの作家様には珍しい青春ものとなっています。幼いころから物作りをしてきた人であればまず間違いなく刺さるであろう内容。

 割とまとまった量の読み切りなのですが、セリフ量も多くはなく十数分あれば読めるので、未読の方はぜひ。

 

 で、まあこれを読んで、私はまた描くの描かないのという話で大げさに騒いでしまっていたなと思うわけです。以前も描きましたが、私が絵を続けてきたのはもうどうしようもなく絵に魅入られてしまっているからであり、そこに大きな目的も理由もない。

 言ってしまえば描く行為そのものが目的となり果てていて、単純に描くことが楽しいし逆に描いていないとうずうずする。それだけのものなんですよね。

 

 なら、自分の欲望の赴くままに、気の向くままに筆を執ればいい。私が絵を続けてどうなるかなどという未来は、描くという行為そのものにおいて全く無意味なのではないか? 

 目の前の画面には今と過去しかない。実際に筆を執っている今と、何百枚何千枚と描き連ねてきた過去だ。だったら、その二つから目を逸らしてはいけない。ただひたすら打ち込むうちに今描いているこれも過去になり、自分の血肉となり骨となり神経となっていく。

 結局は、その積み重ねでしか絵描きは大きくなれない。

 

 そんなことを思い、まあまた救われたのでした。

 いちいち答えを見つけてそれを仮の支えに先に進む、という事を、これからも続けていくしかないんですよね。それが絵のみならず、表現を糧に生きるという事なのでしょう。

 

 また地道に描いていこうと思います。

 

 ではまた次回。

「第三自治区」

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■第三自治区

 こんにちは。一日空きました。今日の一枚も概ね景観を主体に組んだもの。「塔を臨む中央区の近隣にある第三自治区で、自警軍の隊員が油を売っている」くらいのシチュエーションで挑みました。

 これに関しては大分説明不足が響いたなと思います。「自治区」の景観の説明が不十分であり、例えば「自警軍の軍用車」であったり「自治区に暮らす人々」であったり、「銃や剣などの軍装」であったりをもう少し画面に織り込めば格段に分かり易くなっただろうなと。

 アングルと景観を作りこめていないために建造物のシルエットのバランスも悪く、やはりもう二つ三つ直線に依らないモチーフを含められれば良くなっただろうなと。

 

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■落書き

 

 さて、ずいぶん久しぶりに一日寝込んでいました。

 なんというか、ちょっと前進したと思ったらまた大きな壁が立ちふさがって、それを超えるか壊すか迂回するかといった選択を迫られる中で苦しさに転げまわるという生活を、数十年という単位で続けてきたわけですが、やけに歪な生き方をしてしまっているなと思うわけです。

 

 少し考えれば、こうした生活の果てに得られるものの輝きよりも、より堅実に生きて安定した結果を出していくことの正しさと健全さが理解できるはず。

 結局は私はこの歳になっても大人にもなれず子どもの頃の夢を追い続けている大人子どもであり、そして次第にそうした夢を追う生活を続けるエネルギーが足りなくなってきているんだろうなと。

 正直そろそろ潮時かなと思うわけです。

 

 そんな話をここでしてしまうくらいには気持ちが弱っていますが、まあまた絵を描き始めれば迷いも消えていくのでしょう。今日はこの後仕事なので、帰ってからまた絵を積んでいこうかなと。

 絵に魅入られてしまった以上他の選択などなく、一生こうして夢見現の生活を続けるのでしょう。果てしないなと思うものの仕方ない、きっと私が絵に触れた瞬間からこの未来は決まっていたのだ。結果を得ることは容易ではないが、諦める事すらもまた容易ではない。

 ならば灰になるまで焼かれてやろう。

 

 ではまた次回。