イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「あの坂を下り」とキャラデザ152と今回の経過と結論

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■あの坂を下り

 

 こんにちは。今回の一枚目は引き続き写真から背景を練ったものです。背景込みの絵にもある程度慣れ始め、安定感が出てきた感があります。欲を言えば、眼下の階段の先がちょん切れているように見えるのを多少なんとかしたかった所ですが、まあそこは画面の中であまり目立たず取り立てて気にはならないかなと。

 より性急な点として、画面全体のトーンと色調にあまり変化や緩急が無く、特に色調の点で平面的な表現に成ってしまっているのが気に成ります。ある程度色に変化を出してやる必要を感じますね。

 

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■キャラデザ152

 

 さて、少しの間ブログをお休みさせて頂き、その間ツイッターで思う事をとにかく吐き出して気持ちを整理しておりました。

 その間考えたことなどをとりあえず纏めてみます。非常に長くなると思います、スルー推奨。

 

 

 まず、自分の気持ちのわだかまりの原因を突き詰めて行った結果、今回気持ちが揺らいだ理由に三つほど思い至りました。

 一つ目は、特にツイッターで自分がフォローしている知人たちが悩み、苦悩する様をこの所特に多く見て来た事。昔から感受性だけは高い人間なので、早い話が感化されたものと思われます。特に、最近私生活が非常にバタバタしていたせいで自分にも精神的余裕があまりなく、そのせいで他人と自分の境界線が非常にあやふやになっていました。

 これに関してはやはり、ネットなどでの人との関わりをある程度見直す事と、他人に呑まれないメンタル作りを時間を掛けてやるしかなさそうです。他人は他人、自分は自分、というスルースキルは、これからネットを続けるうえでも、社会生活を送る上でも恐らく必須に成って来る物と思います。ゆっくり取り組むつもり。

 

 理由の二つ目は、最近慣れない背景練習を日課とし、ほぼ無理やり自分を駆り立ててそれに励んでいた事です。当然慣れないだけに自分の満足いく出来になる事はほぼ無く、そのせいで苛々が募っていました。しかもそれを日課と決めてしまったため、毎日苦手で且成果の見えない事にほぼ無理やり取り組む事になり、ストレスが溜まっていましたね。

 大前提として、描く事が楽しいと言う思いがなければ辛いなと思いました。苦手な事を克服する事も必要ではあるものの、あまりキリキリやらない方がいいなと。

 

 三つ目は、先日も書いたように評価が伸び悩んでいた事です。率直に言えば、絵を始めた当初から自分は非常にイイ物を描いているという確信を得て来ました。それを評価しない世の中は遅れているんだとすら思ってきました。実際、数年前に描いていた自分の絵で「ここがおかしい」と指摘されてきたポイントは、近年イラストの世界でむしろ流行のポイントとなりつつあります。

 自分は時代の先を行きすぎているのではないか。だとしたら私の絵が認められないのは私のせいではなく、見る目の無い一般人のせいだ。

 そんな思いを日々真剣に煮詰めてしまっていました。

 これに関しては、もうどうしようも無いと思います。自分に先見性と革新性がある事が、徐々にはっきりと形を持って確信として迫ってくる。だからといって、流行に合わせて自分を後退させるような妥協はしたくない。先日の記事でアドバイス頂いたように、自分は自分の精一杯を描いていて、それは評価されうるタイプの物とは別だと割り切るしかないのでしょう。

 

 

 これらを総合したうえで、つらつらと自分は何のために絵を描けば良いのかと考えていました。ぶっちゃけ、今のイラスト業界には不満しか無いし、そのフィールドで自分が伸び伸びと活躍できる状況が訪れるとは思えない。

 だったら、世の中のレベルを私の手で引き上げてやれば良いのではないか。

 傲慢なのは理解していますが、それが自分がやりたかった事なのではないかともやもやっと解って来ました。

 

 今のイラスト業界には、かなり強固な「流行の型」というものが存在し、凡そそこから外れた絵は見向きもされない。しかし、そんな状況が続けばイラスト業界は進歩どころか後退して行くばかりなのではと思えます。その状況を変える一翼を担えるような絵描きになりたい。

 もちろん今の自分の力では到底成し得ないのですが、一生かければ爪痕くらいは残せるのではと思いました。

 

 それが今回の結論です。まあ正直な所、遠大過ぎる理想に辿り着いただけで、その実現の段取りは一切ついていません。だから、これからも悩む事が大いにあるだろうと思う。まあでも、その都度苦しみながら徐々に目標を具体化させていき、いずれ結果を出すくらいで良いだろう。と思えました。

 

 今回は久々に大崩してしまい、たくさんの方にご心配お掛けして申し訳ございませんでした。前回の記事に非常に手厚いお言葉を下さったお三方には特に感謝に耐えません。

 私ももう少し頑張って行こうと思います。

 

 そんな感じで、また次回。

イラスト制作に関するもやもや吐き出し

 こんにちは。昨日ちらっと記事に書いた事に関して、まあ随分考え込んでしまいまして、今まで絵について悩んで来た事と併せて結構な情報量になってしまいました。

 今回は、その悩みの解決策を探ると言う名目で一渡り自分の考えている事をここに吐き出してしまおうと思います。

 

 絵の無い記事になります、読み飛ばし推奨です。

 

 

・評価について

 これは特に長い間悩んで来たことなのですが、私くらいの年代のずっと絵を描いてきたような方達は、そのほとんどが既にツイッターで千を超えるフォロワー、イイね数を得てきていらっしゃる訳です。

 自分は何もかも遠回りしてきた自覚があるのでまあ仕方ないだろうと言う所に落ち着いてはいるものの、じゃあたかだか数十人にイイねを貰い、見てくれている人数も恐らく大して違わない、それだけのために毎回毎回何時間も掛けて絵を描く意味が果たしてあるだろうか、と思ってしまいました。

 

 ツイッターで今回の件にリプして下さった方が、「好きな物を表現するためにあるのが絵であり、その為の研鑽は無駄では無い」的な事を言って下さいました。大いにその通り、とは思ったものの、その方自身が普段からイラストに数百~数千のイイネを得ている方であり、また私よりも一回り以上年下の方です。どうしても気持ちの上でその方の言葉を受け入れられず、「だってあなたは評価されてるし人気者じゃん」と思ってしまうんですよね。

 

 評価は努力や実力に対する絶対の対価ではない。分かっているつもりです。それに関しては常々悩んで来たし、その分自分なりに消化してもいる。私にとって「評価」とは、努力報酬と言うよりは努力した結果ついてくるおまけのようなもので、本命は自分が自力で絵を描き上げたと言う達成感です。

 その程度には気持ちの整理がついているものの、やはり未だに「なぜこんなに頑張っているのに自分の評価はこの程度なんだ」という気持ちにもなりますね。

 

 

・描きたい物

 こちらでも時々書いてきたように、私にはそもそも「描きたい」と強烈に思えるジャンルや世界観がありません。大体絵を始めたのも、自分に絵の適性があるのが解っていたからで、その後は純粋に技術を高める為だけに絵を描き続けてきました。結果、技術力としてはある程度のレベルまで到達してしまった。

 

 それが結局、今回の低迷の一番大きな要因なのでしょう。私は絵を描く目的を更新する必要に迫られているんだと思います。

 

 ただ、今まではひたすら自分の弱点を潰す描き方をしてきました。人まねを繰り返し、流行を意識し、ただただ個を抑えて周囲に迎合する描き方をして来た。そんな自分に今更「何が描きたいの?」などと問うてみても、到底「解らない」と答えるしかない訳です。

 絵を描きはじめた当時は描きたかったデザインや世界観が潤沢にありました。しかし、そのどれも「山田さん”らしすぎる”」というような理由でひたすら難を指摘されまくった。結果として私の絵は、単なる人のコピーにならざるを得ませんでした。

 

 今に成って「自由に描けよ」「好きな物を描けよ」などと言われても、困惑するしかない。だって私にとっての「絵」とは、ひたすら他人のウケを考えてその為の解を生み出す、単なる流行量産マシーンなのですから。

 

 

・技術

 

 そして、今まで自分が率先して伸ばしてきた「絵の技術」というものも、ある程度自分はカンストしてしまったんだと思います。

 予感はずっとあった。思えば四、五年前から自分の絵はかなりの領域に達していて、しかしその度に自分を良く思わない人たちから駄目だしをされて無理やり方向転換を図る事で技術のカンストを回避してきた。

 その引き伸ばしもそろそろ限界なのだと思います。

 

 

・まとめ

 一番に言える事は、もうなんだか疲れました。

 絵を描いて来て、楽しい事、嬉しい事、達成感、遣り甲斐、沢山手にしたと思う。でもそれよりももっと多くの自分や自分の絵への罵詈雑言、侮り、おごり、嫉妬、蔑み、とにかくもう触れたくもない他人のおぞましい感情を幾らでも向けられてきた。その苦しみと戸惑いを、ほとんどの人は理解してくれることもないまま、抵抗しない私をただただ言葉でボコボコ殴った。

 

 何のために絵を描いてきたんだろうな、と思う訳です。

 自分が表現者として成功したくて、その経過として理不尽と戦う、それは良い。ただ、私は表現者になりたかったわけでも誰かに何かを訴えようとしたわけでも無く、ただ一人で楽しく絵を描いていただけです。それに対して余りにも人間の黒い所を見せつけられた。

 私も、私の絵も、もう向けられた感情で黒く濁って、絵を始める以前のワクワクしている私では無い。

 なにより、それら私の黒く汚れた部分が、頻繁に苦しみから金切り声をあげて私に動揺を強いるのです。

 

 偶に後悔します。なぜ絵などにのめりこんでしまったのか。もっと健全で楽な趣味が幾らでもある。こんな、絵をアイデンティティにするほど関わってしまって、自分はもう逃れられない。

 

 ひたすら、苦しいです。

 

 

 今回は答えが出ませんでした。大分本音を書き散らした気がしますが、私の中の感情の一パーセントも吐き出せていない。もう数日、こうして文章にしながら自分の気持ちを探ってみようと思います。

 

 ではまた次回。

「オールド・タイム・アゲイン」とキャラデザ151

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■オールド・タイム・アゲイン

 

 こんにちは。今回の一枚目も背景主体のものです。今回はほぼ一枚の写真を丸写ししながら、ライティングや空間構成に多少手を加えた形となりました。まず一番大きなミスとして、キャラ以外に陰影がついていない、というのがありますね…元もと夕暮れくらいのほの明るいライティングの写真を選んだからという点も大きいのですが、陰がついていないせいで街が作り物めいて見えてしまい、そこに陰影の強いキャラが入り込んで浮いてしまっています。

 また、各部の情報量の上げ方もまだまだ甘く、特に空間を広げるうえで足した向かって左側の家並みなど酷くザツです。なかなか難しいなと思わせる所。

 

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■キャラデザ151

 キャラデザのほうは順調にクオリティが上がり続けているように思います。もうこのままキャラ立ち絵のみでやって行こうかという思いがまた頭をかすめる訳ですが、そう言う訳にもいかないですね。

 

 

 さて、最近なんというか、また燃え尽き気味になっております。今回は割と深刻で、立ち絵一枚描く途中にも「こんな昔のアイディアを復刻させたものばかりだらだらと延命措置のように描き続けて、私のこれからの絵描き人生に一体何の意味があるんだろうか」という所まで延々考えてしまって。

 疲れているし、実際アイディアも意欲も描く意思も、もうどうしようもなく枯渇している自分に気づきはじめました。今は惰性と義務感からどうにか筆を取っていますが、当然そんな描き方をしていい物が生まれるはずもない。

 

 一旦、本気で描く事を辞めてみようかと思ったりします。

 

 それを実行した自分がどうなってしまうのか解りませんが、少なくとも今のままだらだらと流されるように描き続けても何の意味も無いと思う。一旦、絵との関わり方を考え直す局面かなと。しばらく苦しんでみようと思います。

 

 未掲載イラストがいくらかあるため、こちらへのイラスト掲載は続けて行きます。 

 ではまた次回。