イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

キャラデザシリーズ、機獣編

 こんにちは。定期の木曜更新です。

 今回は、新年開始早々やってみたキャラデザシリーズをお送りします。

 

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■赤獅子

 

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■藍狼

 

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■緑熊

 

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■黄兎

 

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■紫蜥蜴

 

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■翠猫

 

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■紺牛

 

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■茶栗鼠

 

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■銀鷲

 

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■金竜

 

 今回は、機獣編の名の通り、身体の複数部位を機械化したサイボーグのシリーズとし、それぞれを獣と紐付けてキャラ立てする、というコンセプトで作成した十体になります。

 実は同様の試みを去年もやったのですが、比較すると若干ではあるもののキャラデザの纏まりや引き出しが向上しているのが見て取れます。

 反省点としては、後半、特にラスト二体がやや惰性的なデザインに成ってしまった点でしょうか。ラスト二体と言う事で「強キャラ感」を出して行こうというつもりだったのですが、開始当初の気合いが空回った結果と言えそうです。

 

 

 さて、先日、ずっと愛読している「ハイキュー!」(説明不用かと思いますがバレーボール漫画です)の新刊が出ました。

 当時、前回書いた件についてモヤモヤと、「自分は天才では無い、でもここまでやってきたのだから報われても良いハズだ」などとすっかり沼にハマってしまっていたのですが、ハイキュー新刊のラストでのあるシーンを見て何かが吹っ切れた気がしました。この後ネタバレを含みます。

 

 

 この漫画の主人公、「日向」は、大変明るく快活な性格で友人も多く、バレーボールに対する情熱と負けん気、また素材も人一倍の少年です。しかし、環境に恵まれず、中学時代はほぼ一人で男子バレーボール部員を務め、そして三年になって新一年生を迎えて初めて挑んだ公式戦で、手も足も出ず大敗する事になります。

 それでも彼は、高校でもバレーボール部を選びました。

 

 彼には大切な記憶があります。当時から背が高い方では無かった日向ですが、小学生だったある時、テレビで映っていた全国大会の舞台で、「小さな巨人」と呼ばれる選手の活躍を目の当たりにします。

 自分と同じ、「恵まれなかった」人間が、努力と技術でエースにまで成り上がり、そして全国大会の舞台に居る。

 日向はその時、その小さな巨人と同じ高校に行き、バレーで全国大会に出る事を固く誓ったのでした。

 

 さて、そして高校で一年生にして見事スタメンの座を勝ち取った日向なのですが、ある時、日向の高校、烏野と長い事ライバル関係にあった音駒高校と練習試合をする事になります。

 その時出会った一つ年上のスタメン、孤爪は、バレーボールよりもゲームのほうが好きで、バレーを続けているのは楽しいからでは無く友人が続けているからなんとなく、という少年でした。勝つ事にも負ける事にも頓着がなく、音駒との練習試合で烏野はぼっこぼこにされるのですが、闘志をむき出しにする日向に対し、孤爪は「(勝っても)別に(嬉しく無い)」とボソッと言います。

 

 しかし、練習試合を重ねるうちに、次々と新しいものを吸収して「未熟な恵まれない選手」から「チームの要」に成って行く日向を見るにつけ、孤爪は言うのです。「日向とならやってみたいと思うよ、負けたら終わりの勝負」

 日向もまた、言います。「次は悔しいとか楽しいとか、絶対別に以外の事を言わす!」

 

 長くなりましたが、新刊で相対し、熱戦を繰り広げる烏野と音駒。お互いに拮抗した実力だからこそ勝負は乱戦となり、その刹那孤爪が呟きます。「たーのしー」

 選手以外の観客が皆訳が解らないと言う顔をする中で、日向はガッツポーズを取り雄叫びを上げるのでした。

 

 

 前置きが物凄く長くなりましたが、その「苦しい」とか「しんどい」とかではなく「楽しい」と呟いた孤爪の姿に、私は何か救われた気がしたのです。

 天辺に手が届く人間などごく一部です。どんなに努力したとしても、報われる枠の数は決まっていて、そこからあぶれた人間は落伍者になるしかない。でも、私が絵を描いてきたのは果たして報われたいからだけだっただろうか?

 

 数字、結果、現実、勝敗。確かに大事です。でも、私が絵を描き始めたきっかけは、単純に描く事が「楽しかったから」だ。一生懸命一つの事に取り組み、僅かずつでも向上出来る事がただただ気持ち良かった。心地良かった。絵を続けることに、それ以上複雑な理由がいるものか。楽しい、だから続ける。それでいいじゃないか。

 

 まあ、そんな感じで割とふっ切れたのでした。頑張る事に理由なんていらないんですよね。頑張る俺かっこいい、でいいじゃないか、と。才能なんてなくても、その姿をどこかで誰かが見ている。そして、他でもない自分自身が自分の努力を見ている。それでいい。

 

 というわけで、めちゃくちゃ冗長になりましたがまた次回。