イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「滅鬼夜行」と「少女と霊銃の悪魔」

 こんにちは。また一日遅れての定期更新です。

 

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■キャラデザイン1

 

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■滅鬼夜行

 

 一枚目は、私があまり多用しないアジアンなテイストのものとなりました。キャラデザは基本としてピンタレストで見かけた資料を基に作っているのですが、その時々で時分にない引き出しが加わる為なかなか充実した方法だと思っております。今後の課題としては、単純にデザインを摸倣するのでなく、自らの世界観とコンセプトを加えて更に改良する、ということが出来るようになる事ですね。

 尚一枚絵のほうは、建物の造型以外はそこそこと言う感じでしょうか。構図も攻められた気がします。

 

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■キャラデザ2

 

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■キャラデザ2-2 少女設定画

 

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■キャラデザ2-3 悪魔と霊銃設定画

 

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■少女と霊銃の悪魔

 

 この一連の設定画は、そろそろ別のアプローチを試みてみようか、という趣旨の元、まずキャラの設定画を起こし、それを基に幾つかシチュエーションや世界観を交えながらコンセプトアートを描いてみよう、という試みでした。結果として私があまりキャラに愛着を持てなかったため、モチベーションが続かず一枚で打ち切りとなってしまいましたが…。

 全体を通して言える事だと思うのですが、キャラの造型がいくら優れていても、背景や小物がザツだと説得力が瞬く間に落ちてしまうなと。割り切って、自分はキャラ絵描きだと思ってやっていくか、コンセプトアートの基礎をもう一度叩き込み直すか。現在は前者のほうに振り切れつつあるのですが、やはり背景有の絵も描きたいと言う気持ちは依然あります。

 

 さて、前回寝込んでいた時、「僕だけが居ない街」始め、たくさんの漫画をとにかく動けない時間読みまくっていたのですが、薬が切れて感性が敏感になっていたからなのか、とにかく涙が溢れました。同時に、疑問に成る。なぜこれを描いた人たちは、私と同い年くらいでありながらここまでのものを作れるのだろう。逆に、私はなぜ三十を過ぎてからもこんな子どもの落書きのようなものを生み出し続ける事に拘っているんだ?

 

 正直な話、私はつい最近まで自分の事を天才だと思っていました。いずれ世界に認められるほどの器を持っているだろう、と。ただ、先程の思いを抱いてから過去の自分をつらつらと反省して行くと、私はいつもいつも自分を無理やり鼓舞して、無理な努力を重ねて結果を出して来ただけで、決してそれは自分の本来の力では無い。努力をする姿を見ていない人が言う。「君は天才だから」「やっぱり才能のある人は」

 

 私もいつの間にかその言葉を信じるようになり、自分は天才だと思い込むに至ったのだと、この歳になってようやく理解しました。

 

 次に来たのは雪崩のような後悔と惨めさ。私はもっと早く気付くべきだった。凡夫である自分は凡夫としての一生を送って、並みの幸せを手にして満足しておくべきだったのだ。こんな天才たちがひしめく領域に、本来立ち入って良い人間ではないのだ。

 現実的に、私は絵を描くようになってから毎日珈琲をがぶがぶ飲んで意識を覚醒させ、その無理がたたって現在の度々寝込む状態が形成されました。このままでは私は、天才どころか当たり前に手に出来た幸福すら失ってしまう。

 それでも、絵を辞めたいと言う気持ちにはならないんですよね。それはきっと執着であり固執で在り、今までの自分の努力を反故にしたくないがゆえに。

 

 ぶっちゃけ、解らなくなりました。どうすれば自分は「正しい」レールに乗れるのか。今の状態が良いのか悪いのか。これ以上自分は上手く成れるのかずっと底辺のままなのか。天才であるという錯誤は、ある意味自分に自信を与えてくれていた。道を示してくれていた。これからは自分の頭で考え、都度最適解を見つけて行かなければいけないのでしょう。それが大人としての自分に与えられた課題であるのかもしれません。

 そんな事を言いつつ、また次回。