イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

落書きメカ09と企画コンセプト6

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■落書きメカ09

 

 こんにちは。今回のメカのデザインは、内部構造を大きく露出させながらもシルエット的に特殊な物となりました。元々は前回のようなスマートなデザインを目指していたのですが、駆動部に凝った結果その部分が肥大化し特徴的な要素となった感じです。

 割と、今までの中では一番SFや工業系のメカっぽい構造になった気がしています。まだまだ説明不足の部分など大量にあるのですが。

 

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・HartsMaterial企画コンセプト3 中央都市の更に中央にある行政府ビルを囲むように、近代的な街が発展している。街の至る所に城壁や関門が築かれ、テロ対策が敷かれており、特に行政府に辿り着くには相当のコネクションと手続きの面倒なビザが必要。基本的に外周に行くほど街の造りや警備は甘く成る

 

 先日夕橙様より、「手本にしている絵描き様は写真や特殊ブラシなどで情報量を上げているように思う」といった見立てを頂いたのですが、今の所私は基本ブラシのみで造型して行くやり方に拘っています。

 というか、まずはシルエットベースで組み立てていく基礎を抑えないと技術の習得が複雑化してしまうという懸念があるのですが、ツイッターのほうで七枚目のコンセプトアートに挑んだ現在、そろそろ先に挙げたような写真素材の利用等も覚えて行くべきかなと。

 

 

 さて、今日は朝四時頃に目が冷めまして、眠気はあったもののそのまま起床して作業を始め、決して良い出来とは言えないまでも企画関連の小品を三枚ほど仕上げました。

 おかげで現在ぐったりしているわけですが、徐々に体力が付き始めていると見ても良いかもしれない。

 

 自分の人生観と言うか、そんなようなものとして、義務に縛られて生きる事程虚しい事はない、というのが一つあります。現代社会では、教育の権利(と言いながらほぼ義務)を果たし、労働の義務を果たし、定年してからも極力老害と呼ばれないよう大人しく生きる事が善しとされている。

 中学時代にそれを思った時、なんて息苦しいんだろうと思いました。その頃から自分は、好きな事を仕事にして生きる事を目指し始めたように思います。

 

 ただ、自分も代表的な日本人の例にもれず、真面目で几帳面な性質が強く、せっかく好きになった絵も、長い事「義務」のように描いて来てしまった。そして、自分もいずれ更に多くの義務を背負って生きて行くんだろうなと。

 

 なんというかそう思うと、やはり生きる事そのものくらいは自分の中で「楽しい事」というカテゴリに入れておきたい思いがある。生きる事を自分で選んでいる、という確証が欲しい。それを実現しようとしたとき、なんてしがらみに溢れた世の中だろう、と思うんですね。

 

 

 なんでこういう話をしたかというと、病院でよく話す件の友人が、職探しの際障碍をオープンにして行くことに関して、実の妹様に「なんでオープンにする必要があるの。何を相手に期待してるの。世の中そんな甘くないよ」などとなじられたそうで、本人も物凄く気にしており、なんだか私まで憂鬱な気分になってしまったからなのですが。

 

 

 なぜ仕事をするのか? 金を稼ぐため。なぜ金を稼ぐのか? 喰うため。なぜ食うのか? 生きる為。結局生きる為に食わなければならず、その為の金が必要、というのがシンプルなモデル。じゃあ、現在の日本人の、仕事の為に生きるという価値観は全く順序が逆じゃないかと、私などは思うわけです。そう言う価値観、義務感に縛られたくない。

 仕事が楽しく、健康であれば生きる事も楽しく成る筈。それが実現できないのは周囲に問題があるからでしょう。そういう思想がなぜ日本では「甘え」と取られるのか、理解出来ないんですよね。

 

 とか言いつつ、また次回。