再考と進路変更
おはようございます。今回はちょっといつもとは趣向を変えて、文章中心の考察記事になります。
昨日、ツイッターでお世話になっている方が「資料がないと描けない」と呟かれたので、少しお話しました。概ね「完全に新しいものなんてこの世に無いよね」っていう所で意見が合致したのですが、その後、ブロソン代表のびっぐさきが、次のような事を呟かれまして。
>才能のある人間にはその自覚があるから、自覚がなくて、憧れだけで目指してるんなら時間勿体ないからやめろ、という事です。僕は才能という概念は嫌いですが、確信は必要だと思います。何事もしっかり考えて努力すれば必ず達成できるという確信は少なくとも持っています。
これに対しても僅かに会話をしたのですが、この二つの呟きに感化されて、自分自身も次のような呟きをするに至りました。
>私が絵、文章含む創作を始めたのって、周りの絵描き様や文章書き様がどんどん新しいものや言葉を生み出していくのに憧れて、そんで自分にもそれが出来るっていう確信がどこかであったからなのですよね。でも、現実的にはその創作家様達も人の模倣をして来たに過ぎず、私は長い事それを認められなかった
>実際、私が生み出す物は「独創的」「個性的」と言われ続けました。その一方で、知識と実力ある絵描き様からは侮蔑と嫉妬を向けられ続けました。美大出のオジ様アーティストさんに、ある日「画想が大事なのなんて僕だって良い加減分かってる」とよく分からないキレ方をされた事があります。大変辛かった
>自分では確信を持って「新しいイイ物」と言える絵が文章が作れるのに、本当に褒めて欲しい人達にはいつもその「新しさ」「良さ」を否定される。次第に、自分が考える新しさは主観でしかないのかと考え始め、色々な絵描き様を真似て自然に絵が埋没して行きました。今はある程度評価されます。虚しいです
>今後悔しています。評価等に拘らず、自己満足でも自分の世界を出し切れば良かった。それが出来なくなってしまったから、不完全燃焼のままどこかで見たような絵を量産し続けてる。正直、今は絵を描かないと不安になるし、同時に評価を得ないと不安になります。才能ある人にはこうなって欲しく無いですね
その後、次のようなツイートを上げたのですが…。
ちなみに、2014年頃の作例。この頃から基礎を重点的に学び始めて、徐々に評価されるようになって来たのですが、自分の中では「こんなものが描きたいんじゃない」という叫びがのた打ち回っていました。この時点が多分私の創作力の最盛期だったと思います。出来れば、これ以前の形を取り戻したいな… pic.twitter.com/4GzA9SXhH6
— 山田 唄 (@yamadauta) 2017年10月25日
そんでこれが基礎とか模倣とかほとんどやらなかった頃の、2013年ごろの作例。私の表現したかったものの本質はこの時代にあります。人体やデッサンなど出来ていない部分が多々あるのは今見ればわかるのですが(というか今も出来てないみたいですが)私は当時の自分こそが人生で最高だったと思ってる pic.twitter.com/z772WO0xtx
— 山田 唄 (@yamadauta) 2017年10月25日
これに対し、イイネとRT含む多くの反応を頂きまして、「この頃のイラストのほうが確かに良かった」「この頃の絵、かっこいい」といったようなリプも数件頂きました。
また、これを見たびっぐさきが、
>他作品からの何らかの影響はお受けになっていると思いますが、絵がとても活き活きとして輝いていると思います。特に色彩が豊かですね。良い世界をお持ちですね〜
>よしんば前人未到の新しい世界を描き出す事ができても、絶対どこかにカテゴライズされます。人は物事を概念で捉えてるので、概念外のものは認識できません。普通、誰かが概念として新たに名前を付ける必要があります。時代の先を行きすぎるものとは、そういう名前のついてない新概念のものです。
>幻想なんてそもそも曖昧で不確定なものなんだし、基礎でガッチリ固めて小綺麗に仕上げる方がおかしいんじゃないかい。完璧に仕上げられた具体的な確定イメージより、人の想像を豊かに掻き立てる抽象的な不確定イメージの方が好きだ。その点で唄様の絵は素晴らしい。本の挿絵とかは抽象的な方がいい。
>ゴッホにも基礎力はないし別に無理しなくてもいいのかなぁとは思いますよ。僕が基礎を磨くのは必要からというかやはり好きだからなので、好きなものだけ追えばいいのではないでしょうか?さいあく清書は人にやらせればいいですし笑
とまで言ってくれまして。(ゴッホと並べられてしまうと恐縮する事しきりですが)
先日、アーティストか職人か商人か、というような話をしましたが自分の昔の絵柄がこれだけ認められる今なら、商人としての立場を崩さずにアーティストとして転生できるのではないか、という気になって来ました。
また、びっぐさきも、「ブロソンのコンセプトアート、今後はこの(昔の絵柄の)方向性で行きませんか?」と言ってくれたので、とにかく一度、当時の熱量や自由度をもう一度取り戻す方向で絵を次の段階に進めてみようか、という気に成りました。
しばらく、ツイッターとこちら中心に、落書きキャラデザ断章、と称して、昔の感覚を取り戻すためのキャラデザシリーズをやろうかと思っています。
正直、昔の自分の作風がこれだけ認められる展開になる事は予想外でした。当時は力や知識のある絵描き様にほど私の作風は否定されたし、それが商業イラストを目指す前提だとしても大変辛かった。やはり自分はアーティストになるべきだったのだと今はっきり思います。そして、認められることで、昔の自分が救われた気持ちになりました。
しばらく、昔の自分を掘り起こす作業を頑張って行こうと思います。
ではまた次回。