イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「電脳街の天使」

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■電脳街の天使

 

 おはようございます。今回の一枚はなんとなく描いてみた物。女性の座りポーズから羽根、街、と広げて行ったのですが、それだけに取ってつけた感が出ておりますね。毎度の事ですがパースも狂っております。

 

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■経過

 

 活動八日目ということでややお疲れ気味です。今回も長期にわたって活動出来そうな体調なのですが、そろそろ一日休みを挟んでおこうかな。

 絵は何もしてなくても勝手に描きたくなるため、何がしか描くのでしょうけれど、とりあえずオフ気味に過ごしてみます。ただ、求人は取り寄せておきたいですね。履歴書も買いに行かないと。

 

 さて、原田マハ様の「ジヴェルニーの食卓」三篇目、「タンギー爺さん」を読み終えました。前回まで配慮を忘れていたのですが、今回もネタバレなどございますのでご注意を。

 

 今作は画商タンギーの娘から、ポール・セザンヌに宛てた手紙、という形で物語が進行します。初めはよそよそしく、またセザンヌに対して刺々しい言葉を連ねていた娘が、手紙の中の近況報告の中で次第に父タンギーに感化され、セザンヌに対しても好意的に成って行く様子が描かれています。

 ちなみにこのタンギー、画家たちから「タンギー爺さん」と呼ばれ大変親しまれているのですが、本来は画材屋であるらしく、本人も「自分は画材屋だ」と繰り返します。そして、絵具代のツケにと売れない画家たちが置いていく絵画をとても大切にし、それどころか客である画家たちを店の奥に招いては酒や紅茶、茶菓子を出してもてなしたりするのです。

 

 タンギー爺さんにとっては若き画家たちが手のかかる息子たちのようなものなのです。読んでいて、こういった芸術の愛し方もあるのだなと感じましたね。

 眺め、論評し、悪い所を叱るだけでなく、擁護し、守り、育てる。それでこそ理解者と言えるのだと感じました。

 無論そんな温情をより多くの人に与えようと思えば、タンギー爺さんのように、貧乏と苦労を背負い込みいつまでもうだつの上がらない生活をすることになるのでしょう。それでも、物語の中のタンギー爺さんはとても幸せそうで、自分が目を描けた画家たちがいつか世界をあっと言わせると信じている。画家たちのほうでも、そういう態度で接してもらえる事が何よりの自信になっていたのです。

 

 こういった、幸せな画家と画商と言う関係もあったのだなと思い、少し温かな気持ちになる作品でした。

 ではまた次回。