「人間兵器と機械兵の従者」
■人間兵器と機械兵の従者
おはようございます。今日の一枚も新作。大仰なタイトルを付けましたが、単純に近未来系の戦士とゴーレムっぽいメカが描きたくて描いたものです。最近知った絵描き様に大変メカイラストのお上手な方がおりまして、触発されたのですが、やはり私が描くとメカでなく何か良く分からない素材で出来た塊、のようになってしまいますね。
こういった部分は何を見て何を描いてきたかというセンスに関わる部分で、描けないのであれば無理に伸ばすよりは自分の描ける方向性にある程度特化するのが、上級者を目指す上では近道になると思っております。ただ、やはり若干悔しいですね。
その他の欠点と言えばいつものように背景をブレイクスルーしている点くらいで、またある程度仕上がりが安定してきたのを感じております。また「次」に進むべき局面でしょうか…。
■経過
反射のブルーを差して全体的にディテールを足しています。そろそろ整えて行こうかな。
■人体模写
今回は被服付きの模写。それなりに丁寧に線を追えるようになってきた気が致します。あとは細かなバランスですかね。
さて、なんちゅ様がこんな記事を書いていらっしゃいました。
また勝手に掻い摘みますと、「性癖に正直になる事と二次創作が自分にとっての自分の絵の世界(自分にしか描けない世界)である」といったような内容。
最近私も俄かにそんな事を記事にしたこともございましたが、改めてざっくり考えてみます。私にとっての自分の世界とは…。
コメントのほうでも寄せさせて頂いたのですが、私は絵を手段では無く目的と捉えている、絵を描いている事そのものが楽しいタイプの人間であるため、自分の世界といったものは特に必要が無いというか、縁が無い範疇のものであるのですよね。現在喚起しようとしているのは自分の昔の作風であり、そう言った意味で「絵の中の世界観」は存在するものの、それは自分の絵を描く動機には成り得ない。
先日の引用に戻って行きますが、私は自分の絵があまり好きでは無いです。私が目指す先はとにかくまだまだ遠い為、自分の絵を見るときに浮かんでくる感情は常に「反省」と「傾向、対策」。
やや極端すぎるけらいがありますが、私は技術専修型の絵描きであるようです。
だからこそここまでやってこれたと思っていますし、今後もその方針を貫くつもりでおりますが、「もっと個性を出しても良いんですよ」「もっと自由に描いても良いんですよ」というお言葉を頂く事が最近特に増えてきたように思います。それはそれで嬉しい事ではあるのですが、私にとって個性や自由というものはそれほど尊重したい要素ではないんですよね。それを延ばす事が有利な理由に於いて重視はしていますが…。
私にとっての「自分の作品世界」とは、「職人が仕事に打ち込むときに生まれる環境・空間そのもの」と言えるかもしれません。
面白味のない答えしか出てこない現状ですが、最近はもう少し豊かな創造世界を持ったほうが良いのかと少し考えたり致しますね。感情を遮断するのは個人の自由でしょうけれど、それで楽しいかと言われたら少なからず苦しいですし。誰しも作品を生むときには苦しみが伴っているでしょうけれど、私が抱く苦しみは他のタイプの創作家様には共感し得ないものになっているのだと思います。
まあ、この手の精神は矯正してどうこう、というものではないのでしょうね。とりあえずそんな所で、また次回。