イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

「掃除屋コンビ」と「ドラゴンテイマー」

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■「掃除屋コンビ」

 

 こんばんは。今回の二枚も両方新作です。一枚目は相変わらずなんとなくで描いてみた物。それでもそれなりに仕上がるようにはなって来ましたけれど、やはり無難な所で筆を止めている感が強いですね。

 最近は意識して粗を多く残す所で塗り込みを辞めるようにしていますけれど、そうするとかえって質感や絵としての柔らかさが増して、神経質に整えていた時よりも画面が豊かになったように思います。必ずしも仕事上正攻法とは言えませんが、しばらく前に人に言われた「しなやかな強さ」という言葉を思い出したり。

 

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■ドラゴンテイマー

 余所でお世話になっている方に、主に人物の肉付きを褒めて頂いた一枚。人物の顔がモブっぽくなってしまいましたし、若干粗過ぎる部分もあるように思うのですが、先日四日ほど続けた人体模写が少しは効いて来てるのかなと思いますね。

 

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■キャラデザイン落書き「流靱」

 

 

 前回の記事に、割と多くの方より「人に迎合する事」と「自分を表現する事」の間で揺れると言う点に関してご意見頂きました、ありがとうございます。それを拝聴して思うのは、やはり誰しも理屈で考えるほどはっきりとは割り切れていないのかもしれないなと言う事。

 人間が他の動物と違う点に言葉を得たことが代表として挙げられる事が多いですけれど、その反面人間は妙に己の欲求に対して正直だなと私には感じられるんですよね。「褒められたい」「自分を表現したい」「絵で地位と財産を築きたい」私もそれらの欲求に忠実に絵を描いて来ました。そして、そう言った絵に惹かれる人間の心理もまた「こういう絵が欲しい」というような欲求に基づくもの。無欲が美徳とされる日本に生まれましたが、もう少し単純に考えてもいいのかもしれない。

 要は、自分の描きたいもの、表現したいもの、絵を通じて掴みたいものに、もっと素直になっても良いのかもしれないなと。

 

 自分の場合、生まれ育った環境がそれほど抑圧されたもので無かったせいか、物事に対する執着という物が昔から人よりひどく弱いです。興味関心がある物に対しても、ある程度それを観察した時点で飽きて捨ててしまう事が多々ある。そんな自分が絵を続けているのは、絵に関して特に「認められたい」という欲求が抑圧されてきたからであるのかもしれない。

 要は自分にとって絵とは、そもそもが表現を目的としたものではない。自分の技術と経験値を他者に知らしめるべくしてあるものなのだろうなと。かなり前そのような内容の記事も書きましたが…。

 

 割と何度か語ってきた事ですが、自分にとって絵も含め世の中の事象物象あらゆる概念において、好き嫌いというものがほぼ無いんですよね。得手不得手はあるけれど、例えば不得手な運動というものに関しても強要されるなら、或いは必要だと言われるなら別に嫌がりもせずやりますし。

 結果として絵と言うフィールドに立っても、こういうものが好きだから描きたい、という気持ちにはならない。凄いものを描きたいという功名心だけでやってきた。思えばそれが自分の一番の弱点なのではと思える。

 早い話、描きたいものが特に無いんですよね。だから題材的にオールラウンダーたりえたと言う事でもあるのですが。

 

 先にも書いたように執着して研究し尽くしたいと思うほどの対象や欲求がそもそもない。この好きなものを人様にも勧めたいとか特に思わない。そう言う自分が創作と言う畑で生きて行く道を、そろそろ真剣に模索しなければいけないんだろうなと考えています。はっきり言って「向いてない」以外の何物でもないとは思うのですが…それで諦められるほど絵に没頭した時間は短くないしね…。

 振出しに戻ったような気もしますが、また少し時間を掛けて考えてみようと思います。

 

 さて、昨日は薬を処方してもらうために病院に出向いておりました。相変わらず歓迎ムードの中デトックスして来ましたが、ああいった「許される」環境に少しでも身を置いてしまうと色々気持ちが緩んでいけない。しばらくは最低限診察と処方のみ受けるためだけに通院しようかなと。

 ではまた次回。