過去絵と、自分の成長点
こんばんは。昨日はブログにも書きましたように診察の日でして、また相変わらず「また来てよ」とか「山田さんが居ないと寂しいよ」と言った言葉にやたらほだされてしまい、帰って来てから無気力になったり不意に泣いたりを繰り返していました。
たぶん分かっているんです、わたしと言う人間にとっての一番の幸福は、人に求められるように生きる事だと。でも、自分で唯一掴んだ「絵」という道を外れたくない。もし諦めてしまったら、自分では無くなってしまう気がする。
そんな時に、ネットで相談を持ちかけたある人から、「唄さんは今、色んなことを自分の考えと照らし合わせながら、本当にやりたいのか、やりたくないのか、決めて行くべき時期なんじゃないかな」と言われ、なんだかすっと荷が軽くなった気がしました。
きっとその人の言うように、私は今とても遅れてきた反抗期のような時期を迎えていて、そしてそれは同時に自分の自我や自尊心と言ったものの芽生えも意味しているのでしょう。今年の中頃からみられた一連の波は、すべてそういったいわば成長点と言えるような場所に差し掛かったためなのかな、と。
今自分は、周りの意見に従い、良い子で居るべきという自分と、いや、もっと周りにこちらから働きかけ、自分の意思で決めて行くべきだという自分のせめぎ合いの中に居る。だから不安定になり、こんな風に乱れているのでしょう。
結局、今まで自分がそうしたいわば大人になるための通過儀礼を無視して、知識や経験ばかり肥え太らせてきたツケを、今払わされているのだと思います。
ここからは、本当に自分の意思で切り開いていくしかない道に入るのでしょう。そんな風になんとか覚悟が決まりつつあるものの、やはり不安です。前回の診察で「救われた」と思ったように、まだ周りの加護の中でぬくぬくと甘えていたいと思う自分もやはりいる。
でも、大人にならなければなと思います。
先程も言ったように、今日は診察とその後の無気力で何も描けていない(試験勉強もできませんでした)ので、昔描いたものをまた漠然と晒してみます。
■古遺都
今回は2012年に描いたものから数点ピックアップしてみます。この一枚は、同年頭頃に描いた習作。古い遺跡とその守り手である壊れたロボットが樹海に囚われている、というイメージでした。昔の絵に観られるのがこういうおっかないくらい無謀なイメージボードのデカさですね。全然表現しきれてはおりませんが。
■セイレーン
先輩に、セイレーンというよりはハーピーのようだ、と言われたもの。機械であり同時に楽器である翼から声を奏でる精霊鳥、的なイメージでした。当時のものとしては割かし纏まっているし塗りの密度も高いですかね。
■歌姫
これを描いた時期、ちょうどボーカロイドにハマり始めて音楽という物の自分内での位置付けが刷新されたりしました。実は今はインディーズもメジャーもほとんど聴かず、ボーカロイドばかり聴いているのですが、やはり創意工夫のある音楽は刺激になります。
■首獲り
これを描いたころにキム・ヒョンテ様の画集と出会ってキャラデザに深く感銘を受けています。自分もキャラデザに進みたいと思って人物のみで見せる絵を本気で模索しにかかっていますね。
■神の像の都市
さて、今夜は夕方に仮眠を取って目覚めてからの作業中なのですが、落書をしているもののやはりあまり気が乗りません。ここ二週間で作り直してきた支えが、また真ん中から折れてしまった。診察の度にこんなことを繰り返すわけにもいかないので、やはり自分で考えて決める、そして大人になる。成長する。これしかないように思います。
言葉にしても雲をつかむような話ではあるのですが、それだけにのんびり構えられているので、まあ何か月かは掛けるくらいのつもりで自分の中に据えて行きましょうかね。
では、また次回。