初級者向け講座休題「絵の魅力について考える」
こんにちは。また月曜日が巡って参りました。先週はペンタブの故障で絵が描けなかったせいか、定期の休みを入れずずっと活動しております。やはり絵を描くことに取られるエネルギーは相当なものなのだな、と…。
今回は、私自身のお悩みなのですが、絵の持つ「魅力」、”どう描けば魅力的に見えるのか”という部分をちょっと哲学してみたいと思います。
とは言え、「魅力」などと言うものは完全に見る側の気持ちや感性に依存する問題であり、感じ方一つに依る基準に過ぎませんよね。言ってしまえば見る人が好きと思うか嫌いと思うか。それだけであると言えると思います。
更にはこの好き嫌いには、そう思う人間の生い立ちや経歴、元々の素質などが関わってくるため、人によって様々であり万人にウケる絵などというものは存在し得ません。そして、一度好きになったり嫌いになった絵に関しては、生涯その感じ方が変わらないことが多い。
その点を加味しておかなければ、上手い下手=魅力などと言う間違った図式が刷り込まれてしまうことにもなりかねません。この間違いは発信する側にとっても受け手にとっても同様に危険です。「上手くなりさえすれば自分も認められる」「自分が魅力的だと思う絵は上手い絵であり、他の人間も認めて然るべきものだ」などという思考を育んでしまう危険性があることに於いて、です。
前提だけで随分長くなりましたが、では具体的に魅力がある絵とは…?
先ほど述べた前提に随って考えれば、魅力とは人間が好きと感じるか嫌いと感じるか、という問題であると言えると思います。では魅力がある絵とは、より多くの人に好きと感じて貰える絵、という事になるのでしょうか。きっとそうなのでしょう。多数派の理論というものが私は余り好きではないのですが、近年のインターネット社会においてより多くの人に作品を公開出来るようになった世の中で、数の有利性というものはもはや絶対的な意味を持ちつつあるように思います。
そんなとき、こちらでお世話になっている絵描き様である夕橙様が、前回の記事にこんなコメントを寄せて下さいました。
>「毒にも薬にもならない」作品では誰にも響かないので、自分はいっそ「毒」になる作品で勝負して行こうと思っています。
カッコいいな、と本気で思いました。私も、自分の描いている物がよもや薬になっているなどとは到底思えず、勝負するならニッチな表現、そのスキマをわざと狙っていく表現になるのだろうとずいぶん前から考えてはいるものの、なかなかそこまで気持ち良く踏み切れません。
ツイッターやピクシブでたくさんの評価を得ている作品達や、その作家様達に、つい嫉妬してしまうのですよね。
もちろん彼らにしても、自分に描けるものと描けない物が存在することくらいわかっていて、その上で割り切って表現することで自分の「持ち味」を育てているのでしょう。私自身自分の持ち味に関しては、「独創性のあるデザイン」だと早くから割り切ってそこを伸ばして来た事もあり、その点で迷いはございません。
ただ、出来る事なら自分の持つ魅力が、多数の人に支持され得るものであれば良かったのにな…と、考えてしまったのでした。
さて、今回は講座などとはとても言えないようなただのお悩み愚痴吐きになりました。結局魅力というものに対して余り掘り下げて考えられませんでしたが、締めという事でちょっと良い事を云おうと思うなら、「魅力的でない作品などはそもそもない」ということでしょうか。誰かにとって、もしくは自分にとって、僅かでも魅力を感じられる作品になったならば、きっとそれはこの世に意味をもって生まれてきたのでしょう。
よく、作家の精神性と作品との関連について話題になりますが、少なくとも作品の評価というものにもはや作家の人間性を加味しないなどという事は出来ない世の中になっています。また、これは長田様に教えて頂いたことですが、実際のイラストレーションのお仕事に於いては作品の魅力というよりもむしろその作品の魅力をどのように売り込んでいくか、という点が重視される側面があるようです。
それでもやっぱり自分の絵に魅力が欲しい、と思いますけれどね。そこは考えれば考えるほど泥沼にはまる部分なのかもしれません。
今回はそんな所で。最近絵を描いていないと時間も気持ちも間が持たなくなって参りました。友人にはぼちぼち相談している所であるのですが、ここらで絵と読書(漫画ですが)以外の趣味も作ってみようかななどと考えております。
では、また次回。