イラスト・ノート

イラスト描き、山田唄の制作物を載せて行きます

楽しむこと

 こんにちは。今日は低気圧が本州を覆い、底冷えする日となりました。ここ数年季節がずれたかのように残暑や残寒が厳しくなっている気が致します。なにやら起こるのですかね、私などには預かり知らぬところですが…。

 今回はちょっと閑話休題。絵を楽しむ、ということを理屈っぽく考えてみようと思います。

 

 私は昔から何かにつけて、「絵を描くなら楽しめ」と言われてきました。ただ、その一方で同じ人から厳しい意見やアドバイスを頂くことも多々あり、何かそぐわない気がしておりましたね。楽しめというのならなぜわざわざ厳しい言葉を選ぶのか、と。

 最近までその理由が皆目わからず、本当に去年の頭頃は自分の絵を認めて貰えないことにほとほと疲れ果ててボロボロでした。そこで、もう「認めて貰えなくてもイイや。楽しむために絵を描こう」と自分の中で決めることにしました。すると、不思議なほどに気持ちが軽くなり、次々と描きたい絵のアイディアややりたい創作のテーマが頭に浮かび、数か月後にはそれに伴って徐々に私の絵を認めてくれる人も現れ始めました。

 何かインチキな商法みたいなお話ですし、すべての人にあてはまるわけでもないでしょうけれど、何となくその一件で「楽しめ」と言われた言葉が腑に落ちたのですね。

 

「楽しむことが大切」というよりは、「楽しむくらいの余裕をもってことにあたることが大切」なのです。苦しいことを無理やり楽しいと感じる必要は無かったし、そういう意味では無かったんですよね。むしろ苦しいことを楽しいと感じてしまったらそれは変な性癖でしょう。

 ちょっと噛み砕きつつ意味を深めて参りましょうか。

 

 私は数年前からツイッターでも活動させて頂いているのですが、そこでも度々名言や格言とされる言葉に触れることとなりました。その言葉の中で身に染みているのがこちら。

「頑張っているのだからいずれは報われる。でも、余裕がなければ人に認められはしないものだ」(引用に際して編集)

 

 余裕、というものについて、どうも自分含め夢に燃えている若い人たちは軽視しがちだと思うのです。とにかく一生懸命やる。休みも削る、睡眠も楽しみも息抜きも削る。サボらない。

 それを何年も続けることが出来たなら、それは大成功するでしょう。その意味で努力は裏切りません。しかし、そういった詰め込み型の努力の仕方で体や精神を病まず上に行けるような人は、ある意味特殊な人達です。ストレスに強く、自分を追い込み過ぎることなく、それでいて具体的に自分を評価して目標を更新し続けられる人達です。そんなのごく一部だと思うんですよね。

 少なくとも私はそういう人間では無く、極端に自分を追い込み過ぎた挙句ストレスで病みました。

 

 私自身が「頑張りたい」「夢を叶えたい」という思いで盲目になり、視野狭窄に陥っていたのだと思うのです。まず、大前提として「成功する人が居るなら失敗する人も必ずいる」のです。むしろ、成功者とはその頂きに立てる数人を支えてきた数百人の失敗者の体験に支えられているものです。単純な話で言えば、数千人の社員を抱える一流企業の社長! という地位があるなら、数千人分の社長以下の社員、という地位も当然必要になってくる。

 世の中は鳥もあえず不平等です。特に現状の社会の仕組みでは、数パーセントの選ばれた人間を支えるために五十パーセントの労働力があり、その上でさらに数十パーパーセントに及ぶ脱落者を出している。

 

 私には社会学のなんたるかは分かりませんが、これはこれで一つの理想形としての社会の形なのでしょう。しかし、これからの若い人たちにはぜひ「試合に負けて勝負に勝つ」ということを覚えておいて頂きたいものです。

 

 

 なんだか愚痴っぽくなりましたが、私が今心がけていることで一番大切だなと思うのは、「あえて低い目標を設定する」ことです。これも私の話ですが、数年間に及ぶイラストの営業の中で、私は自分の理想とする仕事を行っている有名企業様ばかりを狙って売り込みを仕掛けておりました。しかし、そこには当然自分よりレベルの高い絵描き様達が殺到します。結果、自分の実力を思い知り落ち込んでばかりでした。

 そして、そこで「ちくしょう、次こそ頑張ってやる」という気力が数十回も続かないのが人間なのだと知りました。

 私も三十回くらい落選するまではその方法を信じていたのですけれどね、採用する企業様の立場に立ってみると私を取らないのは結構当たり前の事なんです。

 

 コネもない、実力は二流程度で、今まで絵の仕事の経験も少なくコンペなどでの受賞経験も無い。人材としての旨味が皆無だったわけです。

 

 そこで、去年からは目標を切り替えて、あえて少し敷居の低い(と言う表現は大変失礼ですが)企業様に、それでも自分の全力で絵を見せて回りました。すると、半年くらいの間に二社様のPBWのイラストレーターに登録して頂きました。そして、当然この経歴は強味になります。つまり、この時点で私の絵描きとしてのランクは少しだけですが上がったと言える。

 でも、私自身の絵のクオリティが上がったわけでは無い(むろんその数か月で成長はしていると思うのですが)、上がったのは「意識」。「どんな仕事にも貴賤はないのだ」というまぎれもないプロの意識です。

 

 今では、私も少しだけ自分の絵に誇りが持てるようになりました。それに伴って付き合う人の種類も変わりましたし、何より気持ちを強く持てるようになり、また少しくらいは頑張ろうかなという気になれました。

 

 ツイッターで回ってきた格言にこんなものもございます。

「失敗し続ければ誰だって折れる。まずは達成可能な目標を据えること。小さな達成を積み重ねて行くことが大きな成功につながる」(引用に際して編集)

 

 まだなんとなく胡散臭い話である気が自分でもしているのですが、私自身はこの方法論に切り替えることでとても楽になれましたし、実際に今申しましたような成果も掴んでいます。つまりは、私にはこの方法が合っていた、ということなのでしょうね。

 いきなり大きな成功を掴む人も居らっしゃると思います。その人はその人の方法で上に行くのでしょう。でも、私はなんとなく、ゆっくりでも良いんじゃないかなと思い始めています。元々絵で有名になりたくてこの業界に入ったわけでは無く、ただただ好きな絵を褒めて欲しい、というのが動機でした。その褒めてくれる人たちの輪がじわじわ広がっていることが、今はただ嬉しい。

 苦しいばかりだった毎日の果てに、相変わらず辛いことも在るけれど幸せも当たり前に存在する世界に辿り付けた気がしています。

 

 この限り、幸せとは全き自らの心の産物である、ってことですかね。

 

 

 いつも以上に恥ずかしい語りになって来たところで〆させて頂きます。最近思い立って、今まで以上にキャラデザインを強化して習作を描いているのですが、今月末か来月頭くらいにそれをドバっとこちらでも紹介できればと思います。それまでは去年の習作でちょっとお茶を濁させて頂きます。

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